未来型の教育では、どの学校に行くか、まは、卒業するかだけでなく、知識の更新が重要視されます。
文部科学省の指針や昨今の傾向から見て、これからの知識基盤社会の特質と、それを重視する根拠は次の4つの点にあります。
1.知識のアクセスには国境がなく、短時間でのグローバル化が進む。
2.知識は常に更新され、また新たな事実も発見され続ける、したがって競争と技術革新が絶え間なく生まれる。
3.知識の進展は旧来のパラダイムの転換を伴うことが多く、幅広い知識と柔軟な思考力に基づく判断が一層重要となる。
4.知識は性別や年齢を問わず平等な価値を提供するため、多様性も促進される。
このような環境では、学校を卒業した後も、必要な知識は更新しなければいけないですし、昔と同じやり方を続けるだけならば
世界的な競争から取り残されることになるでしょう。
これからの教育の在り方は、異文化や多くの違った意見も反映していくべきでしょう。ただ単に、知識を吸収して、物を作ったり 売ったりでは、成り立たなくなりました。一方で、健全に稼ぐことは人にとっても社会にとっても良いことです。 しかし、富が偏ったり、思想が歪曲されれば、どんなに不自由がなくても、社会的な不安に駆られてしまいます。
本来、理想的な社会を作っていくための素養が教育なのですが、現在の日本や世界の大部分は小さな意味での自己実現だけとしてしか提供されていません。 数十年前に偏差値教育が疲弊して、ゆとり教育にシフトしながら学力が落ちたと騒ぎ、また、同じような教育に戻ってしまうという、 ビジョンも何もない政策自体に、教育そのものの幅や奥行きは感じられない状況になっています。
社会学、法律、哲学、宗教、歴史、経済、政治、科学、技術などは人類と自然・社会の関係を広く学ぶのに必要な科目でありながら、日本の初等・中等教育では、 それらを断片的に受験だけにしか教えていません。結局、親が、先生が、上司が、まわりが言っているからということで安易な「答え」が決まり、 考えることをやめような状況を生んでしまっています。
現実的に、画一的な教育が生む社会認識は、想定外の事態に対応できません。まさに、現代の教育システムは悪い意味で洗脳であり、 限られたパターンの中で忠実に、しかも、正確に行動ができるのにもかかわらず、長期の視点や多くの人類にとって有意義なことを行うという 観点からは、ほど遠い教育なのです。
そのような教育的詐欺や洗脳が横行する世の中で、あなたができることは、教育の社会的責任に対して少しでも意識することだと思います。 また、そのようなことを積極的に学ぶことも助けになるでしょう。
多くの経験をすることが大事です。家では家族に学び、学校では、仲間から違った価値を学べるでしょう。 国を出れば異文化における価値の違いを学べます。また、本をよめば他の人の経験を自分のものにもできるのです。 これを学習の中心に置けば、洗脳から身を守る一つの手段になります。
価値の違いは興味深いもので、それを理解するには深く経験しなければなりません。 しかし、すでに習得している人に教えてもらうことにも十分効果があります。
これからの時代の教育は、得られる価値が重要です。単に上から与えられたものを覚え、それをそつなくこなすこと は教育の結果ではありません。過程がより重要であって、常にそこの枠から飛び出し、、それに責任を負える覚悟が必要なのです。