よくテレビで言われる物理の2つの間違い

大人のための家庭教師
501views {views}

少し揚げ足取りっぽく聞こえるかもしれませんが、職業病と言いますか、テレビを見ていて、気になってしまうことが2つほどあります。

最初は、スタンガンの人体実験で、やられたスタッフが「電流が走ってビリビリきました」というコメントです。ほとんどの人が『電流』という言葉を使いますが、電流が流れれば、死んでしまいます。

スタンガンのビリビリ感は、電圧をかけることによって生じるものです。電圧は神経に作用します。ですから、あのような激しいしびれを感じるのです。

スタンガンだと数万ボルトの電圧を使っています。しかしながら、電流は流れないように工夫しているので、スタンガンが直接、致命傷を与えることはありません。

一方で、電流は体内を流れると、重要な臓器を焼き切ってしまいます。これは、一般の電気回路でもそうですが、電流が基準より多く流れるとフューズが切れるのはそのためです。

電流と電圧は、全く違う物理量だと、覚えておきましょう。

2つ目は、かなりマニアックですが、「360度見渡せます」というコメントです。確かに、水平な方向を保って1周、ぐるっと回るのは360度です。

しかし、空も見上げることができて天の半球すべてみられる状態は、360度のような平面角ではなく、立体角というものを使い、単位は平方度かステラジアンを使います。

半球全体を見られる角度は、約、20,626平方度か、2πステラジアンと呼ぶ方が正しいのです。

でも、こんな言い方をしたら、視聴者のほとんどが「何言ってるかわかんない!」と苦情が来ると思うので、360度でもいいかもしれませんね。

大人のための家庭教師

やっぱり高校物理は、退屈で面白くない

大人のための家庭教師
994views {views}

昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

師匠「今日、書店に行って高校の物理の参考書を久々に見たんじゃが、面白みが全然ないな…」
秋山「『物理の○○』とかいう参考書は、わかりやすいって有名ですよ。」
師匠「それじゃ、わしが手に取ってみたのは。確かに、悪くはない。見た目もキレイじゃし、絵や図も多かった。しかしじゃ。。。」
秋山「しかし、…どうしたんですか?」
師匠「所詮、そこまでなんじゃ。ただ、問題の解き方をきれいに分かりやすくしているだけなんじゃ。」
秋山「それがいいんじゃないですか?高校生は、それを求めていると思うんですが。」
師匠「君の前に初めて食べる果物が出されたとしよう。食べたら、甘くおいしいと感じたとする。君は、それが最高の味だと思うじゃろ。」
秋山「そうですね。初めてですから。」
師匠「しかし、もっとうまい状態の物を食べた人にとっては、君が食べたのは、普通の味に感じるかもしれん。つまりじゃ、本当の物理を知っている者にとって、わたされた問題を、こうやって解けば良い点が取れる、というのは、退屈なものに感じてしまう。」
秋山「じゃあ、本当の物理って何ですか?」
師匠「それは、人類が自然を前にどうやってそれを定式化するかの歴史を観賞し、自分もやってみること、それが、本当の物理じゃ。」
秋山「もう少しくわしく教えてくれますか?」
師匠「高校の教科書に載っている問題の中には、当時ノーベル賞の研究結果もある。しかし、謎が解けるまでは、誰にもどうなっているかわからないのじゃ。」
秋山「それは、当たり前じゃないですか?」
師匠「当たり前なんだが、もう少し聞いてくれ。模範解答がないものを解くためには、あらゆる理論や実験方法を考えなければならない。また、理論が原理原則に合うのか、新しい仮説が必要なのか、しかも、他の問題もその理論で解くことができるのか。全体の理論の中で一貫性があるのか。数学的に解くことができるのか、など多くの試行錯誤が必要なのじゃ。」
秋山「でも、高校生にそれをやれというんですか?」
師匠「そのまま、生徒に対して自由にやれと言ってもできんじゃろ。ただ、そういうように教えることはできる。科学の発展において、その背後の哲学的な部分は、探求への動機につながるのじゃ。」
秋山「今度、師匠にその辺の物理を教えてもらえれば、ありがたいです。やっぱり、教育って単なる作業ではないんですね。何を知って、どう考えていくか、それを人にさせるという、本当に知的な職人にならないといけないようですね。」

大人のための家庭教師

英語の誤訳は、日本人の英語力の無さなのか、それとも、わざと?

大人のための家庭教師
462views {views}

揚げ足とるような感じですが、最近少し気になったので、お話しようと思います。

日本のかつての英語教育は、テストの点数を取るための、作り上げられただけで、実際の使われ方などお構いなしで、行われていました。

そこまで言うと言いすぎかもしれませんが、すべて経験しているので、問題はないでしょう。

ところで、最近、ニュースで、ペンス副大統領が日本にきて、「平和は力によってなし得る」と訳されていました。しかし、よく聞いてみると、彼は、「strength」と言っているのですね。

これは、「強さ」という意味です。日本人にとっては、どちらでも良いとお思いでしょうが、力は、「force」です。違いですが、力はベクトル的で、方向性を示しているものです。一方、強さはスカラー的で、量を示しているのです。

例えば、我慢強さなど、内側に備えておくもの、というニュアンスが strength には内在しています。(もちろん、「我慢」には別の単語がありますが、ニュアンスを説明するために使っています。)

また、だいぶ前の例ですが、オバマ大統領が、警察官と黒人との射殺事件を通して、オバマ氏のコメントの訳で「差別がある」と日本のニュースが報じていました。

でも実際、聞いてみると、「disparity」と言っているのですね。少なくとも「差別」とキャプションが入っているときに「discrimination」とは言っていませんでした。

disparity とは、偏りや、違いができたことを、客観的に表現するもので、差別のような意識的なことに特化していない単語です。

英単語のニュアンスの違いに関して、色々な意見が出てきそうな気がしますが、こんな感じではないでしょうか。
1.やっぱり、日本の英語教育は、まだまだのようだ。
2.本当は知っているのに、あえて、食いつきがいい単語を使ってるんじゃないの?結局、テレビは炎上させてなんぼだし。

あなたはどう思います?いずれにしても、知識があれば、全体の把握ができますが、そうでないと、操られる側、下手をするとだまされる側になってしまうんでしょうね。

大人のための家庭教師

いまさら聞けない、「ナノ物理」っていったい何だったの?

大人のための家庭教師
1.3kviews {views}

昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「そういえば、最近、あまり『ナノ』という単語が聞かれなくなりましたね。もちろん、まだ重要な分野の一つだと思うのですが、ナノ物理っていったい何だったんでしょうか?」
師匠「そもそもナノとは何か知っておるかな?」
秋山「あ、あのー、実はそこから説明してほしいのですが…」
師匠「ナノとかマイクロは、10分の1の乗数を表す接頭語で、マイクロは、10分の1の6乗、つまり、0.000001じゃ。ナノは10分の1の9乗だから、0.000000001になる。」
秋山「へぇーそういう意味だったんですか。で、物理とどう関係するんですか?」
師匠「つまり、ナノ物理は、0.000000001メートルの世界の物理ということじゃ。原子の世界は、これよりさらに10分の1小さい。また、マイクロの世界は、生物の最小単位と言われている。ナノは、その中間で、いわば、分子レベルの大きさの世界じゃ。」
秋山「そんなに細かく分類されるんですね。でも、ナノ物理という新たな分野を作った意味があったのですか?」
師匠「物理は、単純に分けると古典物理と量子力学になる。古典物理は、我々の生活上あらわれる物体の運動で、その物理に従う物体は、ある程度大きいものとされる。一方、量子力学は、電子や光子などの微視的粒子を表現する物理で、古典力学とは違った性質を示す。」
秋山「なるほど、わかります。」
師匠「で、ナノスケールは、いわゆる、その両者の中間で、実体としては、電子などに比べて十分大きく、古典物理的なんじゃが、物理的な性質は、量子力学なしに記述できないのだか、一筋縄に行かない部分もある。」
秋山「結構、興味深い分野なんですね。」
師匠「うむ。歴史的には、量子力学が発展して、さらにその奥の素粒子を探求してきたのじゃが、ちょっと後ろに下がって、分子レベルを調べてみると、意外な結果を出した、っちゅう感じじゃ。」
秋山「だんだん、わかってきました。」
師匠「しかも、生物レベルにも関係しているし、技術的発展も面白いということで、一気にブームとなった。もちろん、現在でも研究は盛んだと思うが、流行り言葉としての『ナノ物理』は、もう使われなくなったのかもしれん。」
秋山「でも、まだまだ分からないことがたくさんある、というか、これからの可能性があるということを知ることができて、良かったです。」

大人のための家庭教師

学校で習った算数や数学ってどこで使うの?私には関係ないんじゃ。。。

大人のための家庭教師
1.5kviews {views}

昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「この間、ネットで、『因数分解とか中学で習ったのですが、実生活では何の役に立ちますか』という質問があって、いろいろな人が答えていたのを読んだのですが、もし、自分が聞かれたら、答えるのが難しいな、と思いました。」
師匠「うむ。確かに、数学は、ある意味、特殊なところもあるからな。生粋の数学者に同じようなことを聞いても、『わからない』と答える人が多いのもそういう理由だからじゃ。」
秋山「じゃあ、この質問は基本的に難しいんですか?」
師匠「数学者は数学的な論理世界の構築にはまっている人たちなんじゃ。それを物理学者などの科学者が、道具と見立てて、自然を理解するために応用しておる。もちろん、社会学者や医学者も数学を使って社会や医療を理解したりしている。」
秋山「因数分解の件で、回答していた人は、『計算が簡単になる』とか、『方程式の解を求めるのに使える』とか言ってましたが…」
師匠「何の役に立つか、に関しては、基礎科学や基礎数学では基本的に即時に言及できない。『基礎』というのは、そのものの性質を理解することじゃから、どう応用されるかは、他の人の気づきなんじゃ。つまり、例えて言えば、ある芸術肌の職人が自分の世界にのめりこんで、彼にとって素晴らしい作品を作ったとする。それを、他の分野の専門家が、『これは、こんなものにも使える、あんなことにも使える!』というようなものじゃ。」
秋山「あ、思い出しました。ファラデーの言った『新生児が何の役に立つのか』ですね。」
師匠「日本の代表する数学者である森重文氏も似たようなことを言っておった。『正しいと証明されたことは、いつか使われる』と。」
秋山「すばらしいお言葉ですね。」
師匠「学問には、相補的なところもあって、基礎や応用という側面だけでなく、いろいろな方向から議論されて、それを機に、また新たな発見が生じる。数学、科学、技術、工学を通じて、人類が問題を解決し、新たな問題を発見し、また哲学を見出し、いっしょに成長していくものなんじゃ。」
秋山「なるほど。いくつもの側面から構成されていることを、単純に一つの側面で結論付けること自体、物事の本質を見極められなくなってしまう、という例なのかもしれませんね。」

大人のための家庭教師

物理学とは『考えてきた証』だった…と気づく自分

大人のための家庭教師
319views {views}

昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「東大物理学者が教える『考える力』の鍛え方、という本を読んだのですが、とても面白かったです。問題を見つける力、それを解く力、諦めない人間力、なんか、僕も、考えるっていう事をしてこなかったのを実感しました。」
師匠「わしも本屋で見かけた。結構、人気のあるような本だし、著者の人も教えるのが上手そうな印象だったな。」
秋山「それと、物理って物理学者だけの物じゃない感、というのも学べましたね。」
師匠「うむ、わしの専門も物理だけに、そう言ってもらえるとうれしい。実際、その本で言われている、『考える力』と物理は表裏一体なんじゃ。物理をするというのは、常に今までの原則と今までにない原則の中で、実験結果を含めて、あらゆることを考えなければいけない。」
秋山「そうなんですね。僕が驚いたのは、『問題を見つける力』という点です。実際、教育の現場では、問題は与えられるものだし、それを先生に受け入れられるように答えるだけでいい。逆に、問題を見つけると、『なんで余計なことをするんだ!』って怒られますよね(笑)」
師匠「そうじゃな。(笑)問題を与えて、それを正確に素早く解くのは、効率は良いが、環境が変わると、今までのことが全く役に立たなくなってしまう。そこで、問題を発見したり、それを解決するには、考えるクセ、というか訓練を受けていないとなかなかできないかもしれん。逆に言えば、与えられた問題を正確に素早く解くというのは、それほど頭を使っていない、ということじゃ。」
秋山「頭を使うで思い出しましたが、毎日忙しく働いていた30代の男性が、急に物忘れが激しくなって、病院で若年性認知症と診断されたらしいです。実際、忙しいからといっても、毎日同じことをやってたり、うまく切り替えができないと、脳を使ってないことになるようです。」
師匠「人にもよるが、物理学をする、というのには、緩急がある。つねに問題を頭の片隅に置きながら、色々なことをしたり、コーヒーを飲みながら、学生や同僚と話をしたりしながら、アイデアが浮かぶ、浮かんだら、とことん行き詰るまで計算したり実験したりする。」
秋山「これって、どんな仕事でも応用できますよね。実は、暇そうに時間を潰しているように見えて、つねに考えている。で、きっかけが見つかれば、仕事を加速する、という方が実際、仕事の効率がいいこともあります。」
師匠「ま、暇そうにしている者にとっては良い言い訳になるが。(笑)」
秋山「たしかに。でも、本当に暇な人は『暇だー!』って言いますよね。」
師匠「とにかく、『考えることは大事』というが、なぜそうなのか、どうやってそうするか、と言える人は少ない。しかし、物理学を経験している人から、物理学者がどうやって問題を解決して来たかの歴史や事実を知るだけで、リアルに『考えること』を感じることができるはずじゃ。」
秋山「『考えてきた証』が物理学なんですね。。。」

大人のための家庭教師

政治や世界を物理学的にみると、こうなっちゃいました…

大人のための家庭教師
295views {views}

昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「政治や世界を見る時、民主主義や独裁政治、経済のあり方など多岐にわたります。しかし、どの政策を行ってもうまくいっていないように見受けられますが、どのように俯瞰すればよいのでしょうか?」
師匠「たしかに、専門家の言っていることは、正しいと思うのじゃが、物事が大きすぎて、しかも複雑じゃから、なかなか思った通りには行かない、といったところじゃろう。わしの専門は物理じゃから、偏見は承知の上で、世界の見方をぶった切ってみたい。」
秋山「お願いします。」
師匠「大きな目で見ると、世界の動きは『多体系』として扱えるじゃろう。つまり、同じような大きさの物体や様々な力が互いに引っ張り合ったり、押し合うという状況じゃ。任意の外力なども、ある一定周期によってもたらされるというのも組み込めるかもしれん。かなりの複雑系じゃ。」
秋山「こういう状況だと、ほぼ、予測不能じゃないですか?」
師匠「確かに複雑怪奇で予測不能じゃと思うが、ある一定のパターンや統計的な切り口で、見ることで何かしら予測するパラメータが見つかるかもしれん。が、次のように見てもらうと面白いと思う。」
秋山「といいますと?」
師匠「昔のように、技術も人口も限られ、自治において、国王などに権力が集中しておれば、大体の予測は可能になる。まさに、線形システムじゃ。しかし、それぞれの国が力を持ち、資本家がいて、宗教組織、頭脳集団も独立している。さらに、現在のように個人でもそれなりの技術にアクセスできるようであれば、まさに非線形のカオスシステムじゃ。しかし、一定のルールや法則は、機能している。もちろん、それは、法律や条約だけとは限らない、宗教、哲学、文化に根差している法かもしれん。」
秋山「なるほど…」
師匠「カオスというのは物理的にはランダムではない。つまり、上のようなシステムはひじょうに複雑ではあるが、完全な無政府状態ではない。もちろん、定量化できるかもしれんが。ただし、予測ができる時間は短くなるかもしれない。これは、天気予報もそうじゃが、最も、単純な雲の動きを想定しても、数日間くらいまでしか予測できない、といわれておる。」
秋山「現在の天気予報は、多大なパラメータとスーパーコンピュータを使ってできる限り予測してますよね。」
師匠「うむ。世界の予測もそうなるじゃろ。いや、もうやっているかもしれん。先日のニュースの記事で、人工知能を使って、世界政治や経済を予測しておった。人工知能というと大それたように聞こえるが、基本はデータマイニングじゃな。ま、こういう統計的なデータと微分方程式を使った予測可能性を認識すること自体が大事かもしれん。というのも、多くの人は、複雑さと予測不可能性が前にはだかると、思考停止になってしまう傾向もある。」
秋山「うーん。科学は何が分かっているか、わかっていないかが重要ですし、そう分析すると、何かが見えてきますよね。」
師匠「次に、政策における矛盾がどこから来ているかじゃ。保守とリベラルが互いに相補的であると信じられながら、実際の政策においては、相補しきれない点がある。つまり、イデオロギーではなく、現実的な法制定や行政において、両立しえないのは、イデオロギーが一部の原因ではないか、ということじゃ。」
秋山「少し難しくなってきましたね。もう少し簡単に説明してくれませんか?」
師匠「政治的配慮を行うためには、相対するパラメータがある。例えば、多数派か少数派か、福祉優先か金持ち優遇か、など色々とある。これらは、こっちを立てればあっちが立たないという共役関係にあるものだ。」
秋山「共役関係というと、物理では、位置と運動量みたいなものですか?」
師匠「そうじゃ。正に、イデオロギーの下でどちらかだけに偏った政策を打てば、不確定性原理のように、相対する、もう一方のパラメータの誤差が無限大になってしまい、政権が交代するたびに、大事なものが壊されていくのじゃ。もちろん、これは量子論とは原理的に関係はないが、本来共役関係にある政策は、ある一定の誤差を容認して両方の一方を強めながら進めていかなければならない。そういうことへの認識が重要ということじゃ。」
秋山「たしかに、イデオロギーや個々人の実存、出生など、メディアも煽ったりしますよね。これによって後引きできないという不健康な環境も温床になっているような…」
師匠「うむ。われわれは歴史から学ぶことができる。いわゆる、過去に起きたことを『実験』結果と見ることができるという意味でじゃ。しかし、完全にコントロールされた実験ではないゆえに、それに基づいた予測にもいろいろと想定外のことが出てくる。」
秋山「確かに、過去に起こったことと全く同じ条件を人間社会で作ることは不可能ですからね。」
師匠「このような時代、ある意味、そういう不可能性や不確定性を認識してどう行動するかが重要になるのかもしれんな。」

大人のための家庭教師

「Yes」の日本語訳が「はい」ではない、という驚愕の事実

大人のための家庭教師
610views {views}

英語を習得するには、発音が大事と言ってきましたが、今日は、少し違った視点で、日本人が英語が苦手になりやすい点を指摘したいと思います。

まず、英語は英語、日本語は日本語と理解します。翻訳の方程式というものに頼りすぎると、なかなか、英語を理解できません。

例えば、「お世話になります」とか、「よろしくお願いします」というのは、日本語独特の決まり文句であって、英語には直訳できませんし、そういう言い方を英語でしようとすれば、おかしな方向に理解されます。

日本語は、自分をへりくだる文化によって発展してきましたが、英語など西洋語は、自己主張の文化によって発展してきたのです。

そうなると、言葉のニュアンスから、文章構成まで全く逆になってしまうのです。

つまり、日本では、「あなた」や「まわり」の中で自分がどう行動するかを表現しますが、英語では、自分があなたや周りにどうするか、どう思うかを率直に話します。

ただ、勘違いしてほしくないのは、英語にも失礼な言い方はありますし、相手をおもんばかった表現があるのですが、基本的に「へりくだる」表現はない、という事を覚えておくと誤解が減ると思います。

そういう中で、日本語の「はい」と英語の「Yes」は、ニュアンスから言えば、全然違う言葉になるでしょう。

日本語の「はい」は相手に対して受け身の言葉として使われることが多いです。つまり、返事とか、相槌とかですね。もちろん、肯定するときにも使いますが、適用範囲が広い単語です。

一方、「Yes」は、自分が何かに対して、肯定する意思を示す言葉です。つまり、私は、(または、他の主語)あなたの言っていることを肯定します、という表現になります。

ここで、日本人が間違えやすいのは、Didn’t you make this mistake? (あなたがこれを間違っていないですよね)と聞かれて、日本語のように、「はい、私ではありません」というように、Yes と言ってしまうと、英語圏の人には、「あなたがやった」と思われてしまいます。

日本語の「はい」は、相手に対しての肯定になりますし、文法上、「はい」でも「いいえ」でも最後に言ったことが正しくとられるのですが、英語では、最初に言っていることに重きを置くので、「Yes」といって、後の文で否定すると、混乱されてしまいます。

いずれにせよ、基本はそうですが、人によっても変わってくるので、英語と日本語を直訳で結び付けると、いろいろと誤解を生むというお話でした。

大人のための家庭教師

 

「近似的手法」にみる物理学の奥深さと科学的視点

大人の家庭教師
281views {views}

昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「今回は『近似』という方法を物理が取っていることが気になって、師匠にお聞きしたいんですが…」
師匠「例えば、どういうことじゃ?」
秋山「そもそも、なぜ近似という、いわゆる、曖昧というか、大体のことを精密科学である物理が使うんでしょうか?」
師匠「昔、話したが、きれいに、精密に解けるケースというのは限られているのは知っておるじゃろ?」
秋山「はい、確か、三つ以上の同じくらいの大きさの物体が引き合う運動でさえ、厳密な方程式の解が関数で表せないんでしたっけ?」
師匠「そうじゃ。」
秋山「だとしたら、コンピュータで全部計算させれば近似なんて使わなくていいんじゃないでしょうか?」
師匠「いい質問じゃ。決して間違ってはいないが、近似法には大きく分けて2つの利点がある。もちろん、他にも細かい理由があるかもしれんが、今回は2つに絞る。」
秋山「わかりました。」
師匠「まずは、物理システムの数理的な考察をするのに、なるべく数式をシンプルな形で残す、という部分に近似の意義があるんじゃ。」
秋山「なるほど。」
師匠「つまりじゃ、数式が残っていれば、数学的な洞察が働く、それで、いろいろと理論的な考察がしやすくなる、ということじゃ。いきなりコンピュータを使って、結果だけだしても理論的な発展がおろそかになってしまう。」
秋山「確かに、コンピュータの結果だけでは、方程式を変えた結果が見えても、方程式そのものを洞察できないですしね。」
師匠「ま、これは科学者のセンスにもよるが、近似法を学ぶことで物理的性質を思い浮かべられるっちゅうやつじゃ。」
秋山「もう一つは何ですか?」
師匠「これは、コンピュータ・シミュレーションにも関係するんじゃが、物理システムが大きくなったり、物体が増えれば、計算量が増大になる。」
秋山「現代のコンピュータでもですか?」
師匠「うむ。もちろん、ハードはどんどん良くなるが、物体などもどんどん増やせる。それを、まともに解くと、何年も、何十年も、下手をすれば、我々が生きている間に答えが出ない場合もある。」
秋山「え、それはすごいですね。」
師匠「そこで、近似を施せば、余計な計算を防げるんじゃ。もちろん、コンピュータプログラム自体にも近似を使うが、これで、かなり時間が短縮され、しかも、結果の誤差も小さく収められる。」
秋山「うーん、なるほど。近似は単に『大体の結果を求める』以上に、科学を発展させるための方法論の一つだったとは。勉強になりました。」

大人のための家庭教師

物理学の役割を少し違った視点から見てみるとその使命感がわかる!

大人の家庭教師
1.1kviews {views}

昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。

秋山「よく物理学ってどんな学問なのって聞かれるんですが、『自然を理解する科学で機械やロケットなどに応用されている』なんて答えてるんですが、師匠ならどう答えますか?」
師匠「それはそれで正しいのだが、感情に訴えていないかもしれんな。」
秋山「そうなんですよ。物理とエンジニアリングの区別もないように理解されますしね。」
師匠「特に日本では数学・物理・工学の間の壁が低いかもしれんな。これはこれで協力しやすくていいんだが、科学としての物理を理解するかしないかで、学問的な意義が見失われる可能性もある。」
秋山「科学的な見方ですね。」
師匠「うむ。今回は、前に行ったことを、あまり繰り返さずに、違った視点から物理を語ってみようと思う。」
秋山「楽しみです。」
師匠「ファラデーは知っとるな。」
秋山「電磁気の法則を発見した人ですよね。」
師匠「そうじゃ。彼が、『あなたの仕事は何の役に立つのですか?』と聞かれて、『新生児が何の役に立つのだろうか』と答えたそうじゃ。」
秋山「それは、すごい受け答えですね。その真意は何なんですか?」
師匠「つまり、物理というのは、生まれたての赤ん坊のようだ、ということじゃ。」
秋山「赤ん坊と物理、ですか。。。」
師匠「生まれたばかりの赤ん坊は何もできないし、ある一定の時間がたつまで、親や周りが手をかけなければならない。つまり育て上げるまでいろいろありながら、自立していく過程を踏む。しかしながら、社会としても赤ん坊を必要としているし、それ以上に、親が無条件で授かりたいと思い、無条件に愛情を注げるものでもある。」
秋山「それはわかるのですが、物理とどう関係してるのですか?あ!確かに、発見されたばかりの物理的事実は、何の役に立つかわからないし、理論などに組み込まれるまでも時間がかかりますよね。つまり、多くの科学者によって育て上げられるもの。社会や国家も基礎科学(物理)を必要としていますし、それを生み育てるための投資もする。何よりも、人類が自然のメカニズムを求めること自体、学問への献身的愛情とも見て取れますね。」
師匠「そうじゃ。物理が役に立つか経たないか、というよりも、物理という学問は、親や社会が考える赤ん坊そのものだ、という深い意味があるのじゃよ。」
秋山「なるほど、そういうふうに見ると、物理という学問の意味が感覚的によくわかりますね。」

大人のための家庭教師