科学的な考え方を社会の見方に応用すると。。。

大人の家庭教師
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師匠と秋山くんの会話の続きです。

師匠「さっき言った、数値の基準とか数値そのものは、科学的考え方ではない、というのは、社会を見る視点にもなるのじゃ。」
秋山「そういう意味で、文系と理系という分け方は、絶対的ではないということですね。」
師匠「その通りじゃ。まぁ、物の見方という点では、哲学にも通ずるが、物事の分類というのは、条件をもとにした相対的な視点を与えるだけでしかない、ということを頭に入れとかなければならない。」
秋山「で、社会を見るにおいての科学的視点とはなんでしょうか。」
師匠「おお、忘れとった。わしにとっての専門ではないが、法律に対して科学的視点がないと、社会を正しく運用できないのでは、ということだ。」
秋山「つまり、法律の文言にとらわれていれば、その背後にある理論を無視しがちになるということですか?」
師匠「そう。どのような背景において、その法律が作られたかを理解していなければ、誤った方向で適用されうる。本来は、社会全体をうまく回せるように制定しているものだから、法律の文言に対して重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをしても意味がないのじゃ。」
秋山「確かに、世の中の議論を聞いていると、いつの間にか、どうでもよい点で右がいいのか、左がいいのか、ってやってますね。あ、僕もそんな質問を師匠にしてましたね。(笑)」
師匠「法律に書かれているものは、絶対的な悪とは限らない。例えば、文化に依存する法律もあるじゃろ。」
秋山「えーと、飲酒とかですか?」
師匠「それもあるな。イスラム教の国の全てではないが、厳しい所では、法律で禁止しているし罰則もある。まるで、危険な薬物のような扱いじゃな。」
秋山「賭博はどうでしょう?」
師匠「イギリスでは合法で、いろんなことがかけの対象になっているが、日本では、合法化されているものとそうでない行為があるな。」
秋山「この件に関しては、議論されるべき課題ですよね。経済的活性化を狙うための規制緩和、一方で、中毒者を創出してしまうリスクをどうするか、胴元が必ずもうかるシステムを野放しにする社会的な危険性など、社会全体で細かい教育や、リテラシーなどが重要になりますね。」
師匠「法律は最低限の倫理、と言われるが、これは、社会がうまく回るための「タガ」として有効なだけで、行為の倫理的判断は、その背後、もしくは、もっと上のレベルで行われる。」
秋山「規制強化や規制緩和も市民の社会活動を調節しているだけで、善悪の倫理判断ではないですしね。」
師匠「我々市民は、法律の表面的な文言に入りすぎたり、法律と倫理を一緒くたにするような議論には気をつけねばならない。」
秋山「そうですね。」
師匠「わしは、物理を教えてきたが、物理でも同じことがある。これも、数値や公式だけにこだわると、正確に問題を解けない。初学者は、物理の関係式を適当に代入して、全く見当違いの回答を出す。それぞれの関係式の背後には理論があって、その原則に基づいて、数式を操作するのが本来なのじゃ。」
秋山「確かに、科学では原理、原則、結果の意味や解釈を重要視しますもんね。もちろん、数学だけで発展させてきた側面もありますが、数学はさらに緻密な論理体系を持ってますからね。」

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