昔々、いや、それほど昔ではない現代社会のある所に、大学教授を引退した、「師匠」と、彼を慕って来る、秋山くんとの、ある会話です。
秋山「この間、ネットで、『因数分解とか中学で習ったのですが、実生活では何の役に立ちますか』という質問があって、いろいろな人が答えていたのを読んだのですが、もし、自分が聞かれたら、答えるのが難しいな、と思いました。」
師匠「うむ。確かに、数学は、ある意味、特殊なところもあるからな。生粋の数学者に同じようなことを聞いても、『わからない』と答える人が多いのもそういう理由だからじゃ。」
秋山「じゃあ、この質問は基本的に難しいんですか?」
師匠「数学者は数学的な論理世界の構築にはまっている人たちなんじゃ。それを物理学者などの科学者が、道具と見立てて、自然を理解するために応用しておる。もちろん、社会学者や医学者も数学を使って社会や医療を理解したりしている。」
秋山「因数分解の件で、回答していた人は、『計算が簡単になる』とか、『方程式の解を求めるのに使える』とか言ってましたが…」
師匠「何の役に立つか、に関しては、基礎科学や基礎数学では基本的に即時に言及できない。『基礎』というのは、そのものの性質を理解することじゃから、どう応用されるかは、他の人の気づきなんじゃ。つまり、例えて言えば、ある芸術肌の職人が自分の世界にのめりこんで、彼にとって素晴らしい作品を作ったとする。それを、他の分野の専門家が、『これは、こんなものにも使える、あんなことにも使える!』というようなものじゃ。」
秋山「あ、思い出しました。ファラデーの言った『新生児が何の役に立つのか』ですね。」
師匠「日本の代表する数学者である森重文氏も似たようなことを言っておった。『正しいと証明されたことは、いつか使われる』と。」
秋山「すばらしいお言葉ですね。」
師匠「学問には、相補的なところもあって、基礎や応用という側面だけでなく、いろいろな方向から議論されて、それを機に、また新たな発見が生じる。数学、科学、技術、工学を通じて、人類が問題を解決し、新たな問題を発見し、また哲学を見出し、いっしょに成長していくものなんじゃ。」
秋山「なるほど。いくつもの側面から構成されていることを、単純に一つの側面で結論付けること自体、物事の本質を見極められなくなってしまう、という例なのかもしれませんね。」