揚げ足とるような感じですが、最近少し気になったので、お話しようと思います。
日本のかつての英語教育は、テストの点数を取るための、作り上げられただけで、実際の使われ方などお構いなしで、行われていました。
そこまで言うと言いすぎかもしれませんが、すべて経験しているので、問題はないでしょう。
ところで、最近、ニュースで、ペンス副大統領が日本にきて、「平和は力によってなし得る」と訳されていました。しかし、よく聞いてみると、彼は、「strength」と言っているのですね。
これは、「強さ」という意味です。日本人にとっては、どちらでも良いとお思いでしょうが、力は、「force」です。違いですが、力はベクトル的で、方向性を示しているものです。一方、強さはスカラー的で、量を示しているのです。
例えば、我慢強さなど、内側に備えておくもの、というニュアンスが strength には内在しています。(もちろん、「我慢」には別の単語がありますが、ニュアンスを説明するために使っています。)
また、だいぶ前の例ですが、オバマ大統領が、警察官と黒人との射殺事件を通して、オバマ氏のコメントの訳で「差別がある」と日本のニュースが報じていました。
でも実際、聞いてみると、「disparity」と言っているのですね。少なくとも「差別」とキャプションが入っているときに「discrimination」とは言っていませんでした。
disparity とは、偏りや、違いができたことを、客観的に表現するもので、差別のような意識的なことに特化していない単語です。
英単語のニュアンスの違いに関して、色々な意見が出てきそうな気がしますが、こんな感じではないでしょうか。
1.やっぱり、日本の英語教育は、まだまだのようだ。
2.本当は知っているのに、あえて、食いつきがいい単語を使ってるんじゃないの?結局、テレビは炎上させてなんぼだし。
あなたはどう思います?いずれにしても、知識があれば、全体の把握ができますが、そうでないと、操られる側、下手をするとだまされる側になってしまうんでしょうね。