以前、社会人の方で数学検定のために、高校数学を中心に教えていたことがありました。
教科書を見ながら、疑問点などを説明しながら、全体的に説明していたのですが、そこで、その方からこのようなことを言われました。「高校の数学は、説明しないで公式を渡して、すぐに問題を解かせるから、わかりづらい」、と。
もちろん、私は「なぜ」なのかを全部説明したので、お客様は、教科書に対して文句を言っていたのですが。この気持ち、まさに私が高校生の時に思っていたことでした。
当時、教科書も参考書も先生も、「これが公式です。しっかり暗記しましょう。それでは、問題を解きます。」というパターンで、なぜそうなのか、ここに至るまでの意義は何か、など一切ありませんでした。
大体の高校生は、長いものに巻かれた方が良いと考えるか、適当にやりながら自分の好きな道を探すかでしょう。
ここで、立ち止まって、考え込むような高校生は一切相手にされませんでした。(たぶん、今でも相手にされないでしょう)
結局、日本の高校教育は、大学受験のために編纂されたものなのです。これは、私が、大学・大学院、研究、アメリカのカリキュラムなど多くの事柄に精通して来たから言えるのですが、現在の教育を取り巻いている人たちは、残念ながら裸の王様をおだてているような感じです。
日本でもアメリカでもそうですが、教育改革というものをひっさげて、偏差値教育、ゆとり教育、No Child Left Behind (アメリカの全ての子供を落ちこぼれさせないための政策です)などルールや制度を変えていきますが、どうも根本の部分を見ていないようです。