働き方改革と教育改革ってどこか似てませんか?

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「改革」と聞いてどのような気分になるでしょうか。やはり、物事が良くなっていくと感じる人が多いと思います。

しかし、教育改革と聞くと、「ゆとり教育」のこともあり、少々、警戒してしまう雰囲気もあるようです。今日は、なぜ、ある種の改革がうまくいかないのか議論してみたいと思います。

当時、ゆとり教育への改革は、経済界からも世論からも、偏差値教育では、立ち行かないことから提案されたものです。つまり、詰め込んで教育するのではなく、考える余裕のある、自主性を重んじた教育を目指したものでした。

そこで、この教育改革を遂行するためにどのような議論が行われたのかというと、「考える余裕を持てるために、どれくらいカリキュラムを削減すればよいか」というものでしかありませんでした。

結局、うまくいっていた部分もあったようですが、「そのおかげで学力が下がった」という世間一般の評判から元の木阿弥になってしまいました。もちろん、受験ビジネスにとっても不都合だったところもあるでしょう。

そもそも、変える気が無かったと言えば、それまでですが、所詮、ルールや外枠を変えたからと言って、うまくいくようなものではないのです。教育にはいくつもの過程と評価があり、学ばせる過程というのも一筋縄には行かない大変なお仕事だからです。

2019年現在も、政治家から、「反受験」などをかかげた教育改革が始まるようですが、上で申したように、同じようなやり方ではほぼ確実に失敗するでしょう。

このように、成果が単純に判断できないものを変えるのは、思っている以上に難しいのです。そういう意味で、「働き方改革」も同じように言えるでしょう。これも、ルールや枠組みだけ厳しくすれば、どこかにしわ寄せがくると思います。

それでは、どうしたら良いのでしょうか。まず、ルールナンバーワンとしては、プロジェクトを遂行、貫徹するには、状況に応じて軌道修正したり、人事などを変更したり、臨機応変にできる環境でなければいけません。つまり、最初にやり方やルールを全部決めて、その通りにやろうとするのは、厳禁です。

それをもとに、次のことに留意するべきです。まず、すでにそのような教育で成功している組織や個人を推薦で選び、彼、彼女らにどのように遂行するか、予算、時間的計画などを書いてもらいます。それに準じて、予算などを配分するというかたちです。

当然ですが、既得権益にお金を配布して、やったふりは、一番いけません。この際、過去のやり方を「壊す」勢いで改革しましょう。

これで、うまくいけば、周りの人や組織が真似しだします。市場では、良く起こることです。その先は、それなりに淘汰されたり、修正されたりして行くでしょう。

もう一つは、教育でも働き方でも、コンサルタントを雇って変えていく方法です。これも、補助金など出しながら、コンサル前後で評価して、より良いコンサルタントが活躍できるようにすればよいでしょう。

もちろん、上にあげた方法が両輪として機能できれば良いと思います。また、世間一般で教育とは何なのかの議論も浸透すると、より、教育が民主的に改革できると思います。

いずれにせよ、受験勉強のように「安易に答えを求める」方法に終始してしまうのは、失敗を招いてしまうので注意すべきです。

大人のための家庭教師

 

 

学生に「答えが合っているんだから導き方なんて関係ない」と言われてなんて答えますか?

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先日、ラジオで「僕は算数の答えがすぐに思い浮かぶんだけど、その導き方を書くのが苦手で。。。」みたいな話になって、「良く、子供は、答えさえ合っていれば導き方なんてどうでもいいでしょ」という会話になってしまう、ということを話していました。

しかし、教育の中で、「答えさえ合っていれば良い」となれば、様々な問題が生じてしまいます。今日は、そこら辺を少し掘り下げて議論してみたいと思います。

「答え」というのは、どこから来ているのでしょうか?当然、問題を作った人が用意したものです。でも、これが合っているのかどうかは、いろいろな形で確かめられています。

それでは、たまたま答えたものが、用意された答えといっしょであったとしたら、「大正解」といえるでしょうか?もしかしたら、類題を出されて、今度は間違ってしまうということもあるのではないでしょうか。

算数・数学や物理などの数理科学は、ギャンブルではありませんし、多数決で答えが決まるものでもないのです。たまたま合っているような答え方をすれば、予測が当たったり、外れたりで使い物になりません。

そもそも、数学やそれを使う科学は、予測可能な方法を確立するもので、それに欠かせない事として、途中経過が合っているかどうかが重要になります。

途中経過が間違っていれば、条件が変わるごとに、合っている答えを出したり、間違っている答えを出したりしてしまいます。

そして、途中経過が記録されていれば、答えが間違っていても、さかのぼって検査することができるのです。そこで、正しい方法に修正して、どのような条件でも正しい答えを出すように、世の中の大人は、会社や研究所などで、このようなことをやっています。

答えさえ合っていればというのは、ある意味、無責任なことであって、しかも、修正やその先の創意工夫までもあきらめてしまっている態度なのです。

教育の現場では、答えが合っているだけではなく、途中経過もきちんと精査されることがいかに将来に重要かも教えられれば良いですね。

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