「試験主義の間違い」これだけある、私の経験

大人のための家庭教師
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資格試験や受験など、特に日本やアジア各国では、試験中心に社会が動いています。みんなで一斉に受けて、その点数だけで合否が決まるという点では、アメリカなどにおける試験の扱い方と比べて顕著に違うでしょう。

ここでは、このような試験主義に問題があるという点を、理屈ではなく、私や他の方の経験談からお話ししたいと思います。

昔読んだ、ある評論家の本の中のお話です。国家公務員、上級試験に合格した大学卒業したばかりの若者にインタビューした内容でしたが、彼らは「日本を変えたい」など、これからの仕事に対する意欲は素晴らしいものがあったようですが、「どのように変えるのか」だとか「なぜ、変えるのか」など少し突っ込んだ質問には答えられなかったそうです。

次のお話は、私が学生から直接聞いたものですが、選択肢のあるテスト問題だと、問題を理解せずに、正解の確率が高いものを見つける方法があるようです。また、選択肢がなくても、正解に近い答え方もあるとのことです。

また、最近の話で、ある理系の資格試験を取った方からの相談だったのですが、「試験には合格したのだが、その原理や計算の詳細がほとんどわからない、ので是非教えてほしい」という依頼がありました。

恐らく、似たような話は、みなさんの身近にもあると思います。上にあるように、理解していなくても点数が取れる、というのが試験には根本的に存在します。

公務員試験の話に関していえば、難しい試験に合格さえすれば「神様」みたいに信仰されるような雰囲気が社会的にありますよね。しかし、若くて記憶力さえあれば合格できるけれど、経験も実績もないから、結局、現実に直面すると何もできないような人材を増やしているようにも見えます。

受験、定期テスト、資格試験にも共通するのですが、過去問などやっていて、あるパターンが見つかれば、それに沿って答えれば正解になるということです。つまり、内容を理解していなくても、合格できる可能性があるのです。

ここで言いたいことは、試験が不必要であるということではなく、社会が、人々があまりにも試験を重視しすぎることの懸念にあります。

難しい試験に合格したからと言って、その内容を理解しているわけではないのです。それなのに、合格しただけで「すごい」と思ってすべての実力を信頼するのは、長い目で見て社会にとって問題になるでしょう。

試験を行うことの長所と短所を踏まえたうえで、試験の位置づけ、人の雇い方、教育の仕方、経験のさせ方など総合的に議論していくことが大切だと思います。

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