物事の見方や考え方が単純化してしまうのも教育のせいですか?

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昔から、テレビに出演しているアナウンサーやコメンテーターの文言を聞きますが、最近ではネットでも、いろいろな意見を聞けるようになりました。

かなり、幅広い意見が聞けるという意味で、昔より多くの考える材料が増えたということが言えると思います。

一方で、情報の玉石混交と言いますか、そこから、すべてを聞きながら吟味をして、もっともらしい状況にまとめ上げるという、リテラシーも必要になってきます。

特に気になる議論として、昔からあるのですが、「○○すれば解決する」とか「規制すれば○○が減る」のように、物事をあまりにも単純化して、解決策を提案する例です。

比較すると、日本のメディアなどで多い言い方のような気がします。アメリカ人でも、一般人が、そのような意見を言うことは多いのですが、メディアでは、専門家を含めて、もう少し深い議論をしていきます。

というのも、世の中の事例は複雑なものが多く、解決策という答えが簡単に得られるものではありません。議論を深めることによって、問題の状況を知って、解決に向けて決断や修正していくことが重要だからです。

しかし、日本では、多くの人たちが、解決するための「答え」を求めようとしたり、これが「答えだ」と言わんばかりの剣幕で、意見をまくしたてる人が多いような気がします。

この原因は、日本だけでなく、アジア全般に言えることなのですが、いわゆる、「詰め込み教育」と言いますか、問題に対して素早く正確な答えを用意することを教育で訓練されてきたというのがあると考えています。

本来の教育では、問題の見つけ方から始めます。もちろん、それが本当に問題なのかの議論もしなければいけません。その後、その問題を解決する方法を吟味しながら、どれが効果的か、なども考えることになるでしょう。

また、実際に行動して、その結果から、方法などの修正、実行を繰り返しながら、問題解決まで、常に議論を緩めないというのが常識です。

また、議論の仕方も、過去や他の国での事例と比較しながら、どのようになるのか予測しながら行うもので、決して思い付きだけで進めるものではありません。

ここで説明しているやり方自体は何も新しいことではなく、鮮鋭的な組織や企業であれば、常識的に行っています。

いわゆる、日本において、エリートなどテストの世界でうまくやってこられた人に限って、早く正確に行動するために、深い考察や、行動の修正とタイムリーな決断ができていない人が多いように思えます。

しかも、このような形で正解ばかりを追うような行動ばかりすると、かつては正解だったのに、今は間違いであることに気づかず、新しい挑戦に限って、いつも失敗してしまうことも多いように思えます。

これは、長年の教育の結果ですので、うまくいっていた時代もあるのですが、これからは、早く正確に、だけでは人工知能でもできてしまうので、段々、価値が薄れて行っているのは間違いありません。

教育を変えるには、先生を教育しなおすしかないでしょう。もしくは、上のような状況に合った教師にイニシアチブをとらせて、うまくいけば、周りが真似していくように仕向けるかになります。

法律や、やり方を変えればうまくいくと思っている教育改革者は、そろそろ現実を学んだ方が良いのかもしれませんね。

大人のための家庭教師

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