日本は「教育に対する公的支出が43か国中40位」以上に考えなければいけないこと

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日本が教育大国であったのは、もう過去の話のようです。多くの点で、他の国よりもレベルが低くなっているのは確かだと思います。

これは、単に、教育政策の問題だけではなく、財政的にも問題があるようなのですが、私の考察では、もっと根深いものなのかもしれません。

そもそも、これは、何度も言っていることなのですが、日本の教育のやり方が数十年前とほとんど変わっていないことにあります。いろいろ導入しているのはわかるのですが、その作法といいますか、「とりあえず、やっておけばいい」という感覚がずっとかわっていないんですよね。

以前も、偏差値教育のほうが良くて、ゆとり教育で学力が落ちたと、という人たちもいましたが、それは表面的で、実は、余計なことはしたくないというか、上から言われたことだけやればよい、という感覚で仕事をしている部分が続いているからでしょう。

このような状況で、現在、受験の仕方ばかり議論されていますが、根本的に教育をどう考えるかという議論がほとんどありません。

また、教育制度を変えても、社会制度が変わらないと、元の木阿弥になることも考えるべきです。

それでは、どうしたらよいでしょうか?この問題は、一朝一夕に解決するものではないことを前提に、教育に絞って、いろいろとお話しします。

まず、ある程度、教育制度を自由化してもよいのではと思います。アメリカは、高校まで公立学校に行けば、学費は無料です。しかし、公立学校は比較的教師の質が悪いこともあるので、私立に行くこともできますし、学校に行かずに、家で、親や家庭教師が教えることも権利として認めています。

家で学ぶことをホームスクールといいます。批判として、他の友人との交流がないので、社会に出たら、人間関係でうまくいかないのでは、というのもありますが、統計的には、そうでもないようです。

また、アメリカを含めヨーロッパもそうですが、社会人になっても、職を変える時も気軽に学校に戻ってくることができます。日本だと、最近では社会人も多く学んでいますが、年齢によって画一的に扱う風土が強かったり、大学に行くこと自体ハードルが高いと思います。

また、日本では、教師に関するルールや法律が厳しい一方で、罰が軽い傾向にありますが、少し、ルールなども緩和して、逆に法を犯せば罰に徹するように変えると、人材の流動性やレベルの高い人材を多方面から募ることもできると思います。

また、資格や試験で選ぶ教師よりも、実力があるかどうか、さらに人間的に尊敬できるかどうかなども重要になってくるでしょう。もちろん、失敗もありますが、失敗から学んで善処できれば、長い目で見て成功できると思います。

結局、教育で重要なのは、教える教師の能力、経験、それとリーダーシップなので、現在のルール、法律、試験だけで教育を統制するやり方から、少しずつでもいいのでシフトしていくべきでしょう。

まだまだ、言いたいことはありますが、今日はこの辺で。

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日本人の持つ「教育神話」について議論する

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教育に従事して、10~20年以上たちましたが、日本の教育の本質、つまり、根本的な中身がほとんど変わっていないようなので、今回は、日本人の信じている、教育都市伝説なる物に関して議論していきたいと思います。

日本的な教育思想は、実は、アジア全体で共通している部分があるのですが、どちらかというと精神修養的な要素が強く感じられます。もちろん、そのような教育自体、悪いことばかりではないのですが、「これだけが正しい」となると、事実認識が異なることもあります。

例えば「若いうちに叩き込め!若ければ若いほど乾いたスポンジのように吸収する」に関してですが、いつも正しいとは限りません。若い子に勉強や、やりたくないことを無理に押し付けて失敗した親や先生は山ほどいます。もちろん、本人が自主的に興味を持てば、その通りですが、年齢に比例するとは限りません。

実は、大人になってから勉強される方も良く教えていますが、若い子より、よく質問しますし、本人の知識などと結びつけて、理解なども早かったりします。一般に大人のほうが、逆に知識がある分、興味も出やすい傾向にありますが、若い学生なんかは、早く宿題や勉強を終わらして、自分の趣味やアルバイトの時間を作りたいという人も少なからずいます。

したがって、子供の方が良く学ぶけれど、大人になったら勉強できない、吸収が遅い、というのは、ウソで、人によりますし、興味を持ったら、逆に大人のほうが、理解が深まります。

次に「テストで良い点数、高い偏差値を取れば、あなたは、その教科をしっかり理解している」に関しては、これも、そうとは限りません。日本ではいろいろな試験があって、それに合格すると「拝まれる対象」になりますが、テストの点数は、コツさえ覚えれば、取ることができます。

もちろん、ある程度は知っていないといけませんが、理解しなくても、点数を取ることはできます。以前、何人かの学生に、クラスに関する理解と成績に関して、非公式ですが、インタビューした結果では、成績が良いからと言って、きちんと授業内容を理解しているとは限りませんでした。

点数だけで判断してはいけない理由は、例えば、92点取った学生と、84点の学生と比べて、どちらがより理解しているかは、点数の高さでは測りきれません。また、84点の方が、より頑張ったり、本人の態度で、理解力や応用力を、後々、身につけられたりするので、ピンポイントの数字には、意味が無いことも多いのです。

それゆえに、私は、受験主義には反対しています。試験は、教育者が教育の仕方を柔軟に行ったり、修正したりするための指標であって、点数で学生の優劣を判断する材料に使われるものではないのです。

最後になりますが「良い大学に入れば、人生安泰だ」にも言及します。お分かりのように、必ずしもそうではないです。もちろん、人によりますが、大学に入るだけで、入ってから勉強しなければ、意味がありません。

実は、高校までに習う知識というのは、大学以降で習う内容からすれば、かなり限られているのです。ですから、大学に入ってから学ぶ知識を習得しなければ、人生にとって意味がありません。

アメリカなどでは、若いころに学んだ知識が通用しなくなったり、新しい仕事をするために、大学に再入学します。こう聞くと、当たり前なんですが、日本では、「偏差値の高い大学にうかれば、人生の印籠をもらったようなもの」という信仰があります。わかっていない人たちをだますのは簡単ですが、わかっている人たちからは、そのように振る舞うと、中身のない人だと思われるでしょう。

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2019年ノーベル化学賞の中身について、説明します

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受賞というのは、評価を受けたということです。「誰が」、というのは多くのニュースで話されているので、ここでは、「誰が何を」に絞って、科学的興味に基づいて説明しましょう。

完成に至るまでの内容は、基本的に、アメリカのジャーナル、Physics Todayの記事を参照しています。

まず最初に、電池のメカニズムは酸化還元反応にあります。放電過程では、陽極での酸化反応によりイオンが解放され、液体電解質溶液を通って陰極に移動し、還元反応を受けます。

一方、電子は接続された回路を通過します。再充電では、酸化還元プロセスが逆になり、イオンは陽極に戻り、別の放電サイクルの準備が整います。これは、電池のオリジナルのアイデアで、学校で習いましたよね。

スマートフォンや電気自動車などに電力を供給するリチウムイオン電池は、1973年の石油危機の少し前に始まりました。アメリカエネルギー委員会は、当時MITのリンカーン研究所にいたグッドイナフ氏に、フォード社のバッテリー開発者によるプロジェクトの評価を依頼します。

そこで、ナトリウムと硫黄を使用した溶融塩電池の実現可能性を吟味し、約1世紀前に開発された標準ではあるが時代遅れの鉛蓄電池を置き換えることに成功しました。しかし、1960年代後半までに、高い動作温度と腐食の問題により、これらのバッテリーに実用面で問題が生じてきました。

当時エクソンの研究科学者だったウィッティンガム氏は、電気自動車に電力を供給するだけでなく、オフピーク時に太陽エネルギーを蓄えることができる低温高エネルギーのバッテリーを検討しました。そのため、1976年に二硫化チタンの陰極とリチウム金属の陽極を組み合わせたバッテリーを開発しました。

リチウムの標準還元電位は-3.05 Vと低いため、高密度で高電圧のバッテリーセルにとって特に魅力的でした。ウィッティンガム氏の設計では、TiS2(二硫化チタン)構造の層間に挿入し、酸化還元反応中にリチウムを可逆的に保存する手段を提供したのです。

ただし、リチウムは高い反応性を持っており、危険な反応を避けるために空気や水から隔離する必要があります。ウィッティンガム氏は、数年前に実施されたリチウム電気化学実験で他の研究者によって慎重に設計およびテストされた非水電解液を使用することにより、この問題を解決しました。

これは大幅な改善でした。ウィッティンガム氏のリチウムイオン電池は、鉛電池よりも高いセル電位を持ち、2 Vと比較して2.5 Vでした。しかし、ウィッティンガム氏のリチウムイオン電池は安定していませんでした。放電と再充電を繰り返した後、リチウムの細かい糸のような結晶が陽極上に成長します。最終的に、それは陽極と陰極を隔てる障壁を破るのに十分大きくなり、電池は短絡したり爆発したりします。

1980年に入り、グッドイナフ氏は、その問題を直接解決はしませんでしたが、陰極用のはるかに優れた材料を思い付きました。オックスフォード大学の水島浩一氏と、彼の同僚とともに、コバルト酸化物リチウムが陰極に使用できることを発見したのです。

TiS2と同様に、酸化コバルト構造にはリチウムがしっかりと挿入されているため、陰極に十分なエネルギー密度を提供できます。酸化コバルトの構造と電位の関係に関するグッドイナフ氏の洞察により、電池の性能が向上しました。

電圧は2.5 Vから4 Vに増加し、新しい電池はウィッティンガム氏の設計よりも改善されましたが、システムは依然として陽極として反応性の高いリチウム金属を使用していたため、企業は電池を商業規模で安全に製造できませんでした。

1985年に旭化成株式会社で働いていた吉野氏が陽極の材料をグラファイト(黒鉛)に置き換えました。これは電気化学的条件で安定しており、グラファイトの結晶構造に多くのリチウムイオンを収容する構造になっています。

ケンブリッジ大学の化学者であるクレアグレイ氏は、グッドイナフ氏のリチウムコバルト酸化物の陰極と吉野氏のグラファイトの陽極を使用して、「もう、爆発などから身を守る大掛かりな実験施設なしで、電池が組み立てられるようになった」とコメントしています。

さらに重要なことは、グラファイトの陽極は軽量であることと、電池の性能が低下する前に数百回充電できることです。その後すぐに、ソニーは旭化成と提携し、家電製品のすべてのニッケルカドミウム電池をリチウムイオン電池に交換しました。

これが、リチウムイオン電池の実用まで至る経過です。もちろん、細かい技術や科学的な試行錯誤もたくさんあったと思いますが、このようなメカニズム自体が、電池のみならず、他にも応用できると面白いですね。

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本当の教育は、クイズ王を育てるのではありません!

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クイズといえば、誰が勝つか、どのチームが優勝するかを演出して、見ている人たちも興奮する番組を思い出すと思います。昔、日本であった「クイズ100人に聞きました」は、知識に関する問題ではないですが、チームに分かれて勝負をする形式です。このクイズ番組、元々、アメリカの番組をまねしたもので、アメリカでは、今でもテレビでやっています。

他にも、「アメリカ横断ウルトラクイズ」というのもありました。これは、個人戦で知識を競い合うタイプのクイズです。

最近では、いわゆる、日本の小中高で出題されるような知識を問題にするクイズ番組が多く、クイズと受験、大学名などを紐づけた感じで、視聴者を引き付けているようにも見えます。

まぁ、ショーとして、見る分には、楽しいですし、問題はないのですが、実際の教育とクイズ王になることとは、違うのでは、というお話をしたいと思います。

そもそも教育とは、必要な「道具」の使い方を教えながら、どのように未来を切り開いていくか、また、切り開くにあたって、過去の偉人たちがどのように対処したのか、その判断は、今でも有効か、など、個人の人生と、コミュニティ、国家、世界とのかかわり方を育んでいくものです。

小学校では、「道具」、すなわち、言語や数字の使い方を主に学び、それをもとに、基本的な知識を習得します。中学校では、より、高度で複雑な知識と、それをもとに身の回りを超える知識に触れていきます。

そして「最後」に高校では、大学入学のために「クイズ王」になる訓練を受けます。ある意味、中学レベルでも、受験のためのクイズ王養成といってもいいかもしれません。

これは、知識を切り取って、それが答えとなるような問題を作り、それが出題されると、素早く、しかも、正確に、期待された答えを答えるという動作を繰り返すものです。

ほとんどの人は、「これの何が問題なんですか?」と聞きたくなると思います。もちろん、訓練そのものは、悪いことではないですが、それだけに集中すると、結局、社会にとって意味のない人材を育ててしまうことにもなります。

まず最初に、クイズ王になるには、何をしているのでしょうか。当然、問題の研究をします。次に、いかに素早く、解答するかを訓練します。また、いかに多くの点を取るための戦術なども学んでいきます。

これをやっていれば、確かに、クイズ王(受験の勝者)になれるでしょう。しかし、このような知識が、現実に使えるのでしょうか?

「こうきたら、こう答える」だけの訓練を受けている人は、前例がなければ、立ち往生します。そして、問題のたらいまわしか、先送りをしてしまうでしょう。

断片的な知識を習得してきた人は、その知識の適用範囲を間違えてしまうこともあります。例えば、憲法の条文を個人に適用するような間違いも、そういうところから来ています。また、その知識をもとに議論もできない人も多くなります。

あとは、点数主義に陥りやすいので、点数にならなければやらなかったり、点数を取るために、「ズル」をしたり、点数さえ取れれば、それ以上やらなかったりします。

また、上から与えられっぱなし、つまり、問題を出題されてから実力を発揮するだけの人たちなので、自分から問題を発見できない、すなわち、問題意識が低くなる傾向にあります。

世の中を見ていると、立派な肩書を持つ、政治家、官僚、また、その他の業界人が上のような人材になっているように見えるのですが、単なる錯覚なのでしょうか?

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