教育に従事して、10~20年以上たちましたが、日本の教育の本質、つまり、根本的な中身がほとんど変わっていないようなので、今回は、日本人の信じている、教育都市伝説なる物に関して議論していきたいと思います。
日本的な教育思想は、実は、アジア全体で共通している部分があるのですが、どちらかというと精神修養的な要素が強く感じられます。もちろん、そのような教育自体、悪いことばかりではないのですが、「これだけが正しい」となると、事実認識が異なることもあります。
例えば「若いうちに叩き込め!若ければ若いほど乾いたスポンジのように吸収する」に関してですが、いつも正しいとは限りません。若い子に勉強や、やりたくないことを無理に押し付けて失敗した親や先生は山ほどいます。もちろん、本人が自主的に興味を持てば、その通りですが、年齢に比例するとは限りません。
実は、大人になってから勉強される方も良く教えていますが、若い子より、よく質問しますし、本人の知識などと結びつけて、理解なども早かったりします。一般に大人のほうが、逆に知識がある分、興味も出やすい傾向にありますが、若い学生なんかは、早く宿題や勉強を終わらして、自分の趣味やアルバイトの時間を作りたいという人も少なからずいます。
したがって、子供の方が良く学ぶけれど、大人になったら勉強できない、吸収が遅い、というのは、ウソで、人によりますし、興味を持ったら、逆に大人のほうが、理解が深まります。
次に「テストで良い点数、高い偏差値を取れば、あなたは、その教科をしっかり理解している」に関しては、これも、そうとは限りません。日本ではいろいろな試験があって、それに合格すると「拝まれる対象」になりますが、テストの点数は、コツさえ覚えれば、取ることができます。
もちろん、ある程度は知っていないといけませんが、理解しなくても、点数を取ることはできます。以前、何人かの学生に、クラスに関する理解と成績に関して、非公式ですが、インタビューした結果では、成績が良いからと言って、きちんと授業内容を理解しているとは限りませんでした。
点数だけで判断してはいけない理由は、例えば、92点取った学生と、84点の学生と比べて、どちらがより理解しているかは、点数の高さでは測りきれません。また、84点の方が、より頑張ったり、本人の態度で、理解力や応用力を、後々、身につけられたりするので、ピンポイントの数字には、意味が無いことも多いのです。
それゆえに、私は、受験主義には反対しています。試験は、教育者が教育の仕方を柔軟に行ったり、修正したりするための指標であって、点数で学生の優劣を判断する材料に使われるものではないのです。
最後になりますが「良い大学に入れば、人生安泰だ」にも言及します。お分かりのように、必ずしもそうではないです。もちろん、人によりますが、大学に入るだけで、入ってから勉強しなければ、意味がありません。
実は、高校までに習う知識というのは、大学以降で習う内容からすれば、かなり限られているのです。ですから、大学に入ってから学ぶ知識を習得しなければ、人生にとって意味がありません。
アメリカなどでは、若いころに学んだ知識が通用しなくなったり、新しい仕事をするために、大学に再入学します。こう聞くと、当たり前なんですが、日本では、「偏差値の高い大学にうかれば、人生の印籠をもらったようなもの」という信仰があります。わかっていない人たちをだますのは簡単ですが、わかっている人たちからは、そのように振る舞うと、中身のない人だと思われるでしょう。