人工知能(AI)は、神か悪魔か?仕事が奪われるのではとおびえる方へ

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数年前に深層学習が確立してから、AIが実用的にブームになっています。何かあれば、AI頼みとなっていますが、「政治家を全部AIにしろ!」だとか「AIが暴走して人類を支配する!」など、期待や不安が多い状況です。

実は、あまり人工知能のことを知らない人たちが、このようにAIを神格化したり、悪魔の申し子のように扱っているのではないでしょうか?

AIだけでなく、歴史的に人類の仕事を脅かしてきた技術革新は結構ありました。ここでは、2つほどの例を用いて、AIとの付き合い方を議論してみたいと思います。

まずは、電卓です。現在では、携帯の電卓で一番簡単なものだと、100円くらいでも手に入ります。コンピュータにもスマートフォンにも、ありとあらゆるところに組み込まれていますよね。

しかし、当時は、「電卓によって人間の仕事が奪われる」だとか「電卓に頼ると子供の勉強にならない」などいろいろな不安や批判があったようです。

でも実際はどうでしょうか。大学生は関数電卓を使うのですが、結構な数の学生が、うまく使えていないのです。数字を入力しても正しい答えが得られないなど、全く、どう動くか把握していないのです。

他にもマセマティカやメープルといった数学ソフトも出てきたとき、「宿題の問題を解いてくれる!」と勘違いした学生も多かったようです。実際は、数式の意味や扱い方の根本がわかっていなければ、使いきれませんでした。

ここまで来ると、わかると思いますが、人工知能(AI)も、その原理や使い方などわかっていない人は、有効利用できないんですよね。

さらに加えて言えば、AIだろうがマセマティカだろうが、出てきた物を判断・評価するのは人間なんです。

確かに、AIを悪用する人はいるでしょう。また、想定外の事故もあるでしょう、しかし、人間がAIに支配されるというのは、妄想に過ぎないのです。

もちろん、ボーっとしてる人は、AIだけでなく、いろんなものに支配されますが。。。とにかく、何が起こっているのか、何が原理原則なのか俯瞰するというのが大事で、そういうことを指摘する教育というのも、今後、評価していかないといけないと思います。

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日本人の伝統や心を大事にしたいのであれば、少し教育の見方を変えた方が良いのでは?

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どこの国にも文化があり、素晴らしい考えをもって、国や世界に貢献している人たちがいます。もちろん、日本国、日本人も、そのような大事なものを引き継いできたと思います。

最近では、日本文化を日本人が見直すという機会も多くなってきていると思います。昔からの伝統があったからこそ、今の日本人があるのです。

しかしながら、現在、教育に関して言えば、日本の伝統を無視しているのではないでしょうか?

そもそも、日本の教育における伝統とは何でしょうか。いわゆる徒弟制度のようなもので、師匠についていく弟子が、議論したり、師匠の背中をみて、言葉にはできない教えから多くのことを学ぶというものです。

また、寺子屋教育のように、少人数の生徒を、手取り足取り、基礎を教え込むというのも、その派生でしょう。

現在、その伝統が残っているのが、茶道や華道、その他の伝統芸能やものづくりの世界です。彼らは、すばらしい物を受け継いで表現し、多くの人を感動させています。

一方で現代教育では、そのような伝統は影をひそめるようになりました。もちろん、ある程度の効率化やコストカットなどの理由はありますが、試験を中心とした、大量生産型の教育に成り下がってしまいました。

私の観察では、このような教育の下で作られる人材というものが「薄い」感じになってしまっているのです。本質よりも名目だけを求めるような、薄っぺらい、という意味です。

伝統的な制度において、本来、テストだけで、免許皆伝はあり得ません。師匠からは、技術だけでなく、生き方や、考え方、さらに、わからないものに対しての向き合い方などを、時間をかけて経験から学んでいくのです。

また、たとえ試験があったとしても、試験の終わりが始まりである、という覚悟を決めるのが、伝統的な教育に内在している原理なのです。

しかし、現行の教育では、統一テストを受けさせ、機械が採点した結果で一喜一憂し、合格すれば、天下取ったような振る舞いしかしないような人しか育てていないのではないでしょうか?

よく「箔がつく」と言いますが、すぐにはがれるような箔をつけるような教育機関は、日本の伝統からもっと学ぶべきでしょう。

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これから先、日本の大学教育のあり方について考えてみました

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元々、日本の教育というのは、欧米とは違った形で発展してきましたが、大きく時代が変わったり、戦前・戦後での価値観が変わるなど、教育の形式がいろいろと変遷してきたのも事実です。

また、どちらかというと初等、中等教育に力を入れて来ているのも特徴ですが、時代に進むにつれ、日本人の大学進学率も高くなっています。

しかしながら、欧米と比べて、大学教育そのものが重要視されていないのも特徴的で、大学入学までですべてが決まる、受験中心主義もなかなか抜けきらないところもあります。

さらに、文系と理系に分けて教育するというのも特徴的で、その間には大きな壁というか、全く違った「生き物」のように扱っているように見えます。

数十年前までは、若年層の人口も多く、日本も発展段階であったため、試験で選抜するのが一番簡単で、あとは、その試験を乗り越えるだけの根性をもとに、会社に入って奉仕し、それが日本全体を豊かにしてきた経緯もあります。

その後、だんだんと出生率が減っていきました。さらに経済においてバブル崩壊も含めて、基本、若年層の人口は減って、少子化時代と言われています。

その途中で、試験の偏差値だけでなく、いろいろな評価が必要とのことで、ゆとり教育や、受験体制の変化も含めて、特殊な能力や推薦などで入学する人も増えてきました。2020年現在で、約45%の学生が、元来の試験以外で入学しているようです。

現在、大学側からすると、若い人たちは、少ないために貴重な「お客様」となってしまったようです。しかし、ここで、大学側が教育というのを、単なるビジネスというか、お金儲けとしか考えなくなっていくことには、警鐘を鳴らしたいのです。

被教育側は、単位や学位を単に購入しているのではなく、学んだことが能力や実力となって、多種多様な貢献ができるのを見越して投資しているのです。

そうであるはずなのにもかかわらず、被教育者は、簡単に単位が取れる大学やブランド価値がある方を選ぼうとしています。一方で、大学側も、それに迎合するような形で運営し、結局、有名無実なことに一生懸命になっているのです。

大学で学ぶ内容というのは、まさに、世界や歴史の垣根を超えた学問を自由に、生で学べる場所です。ですから、きちんと学ばせて社会や世界に貢献できる人材を作ることに大学側は使命感を持つべきでしょう。

たまに聞くのですが、「単位を落としたり、落第させると、大学側の問題になる」とある教授が言っていました。

私の経験で恐縮ですが、学生時代、大学で、ある科目を取った時、結構簡単にしかも良い成績を取ったんです。「こんなものかな」と思いつつ、別の大学の大学院で分かったのが、全くと言っていいほど、その講義では、何も学んでいなかったのです。

結局、苦労して自分で学びなおさなければいけなかったのです。ある意味、仕方ないことでもあるのですが、その講義が簡単すぎたことを、あれほど恨んだことはなかったでしょう。

これからは、日本でも比較的簡単に入学できるようになってきているので、ただ単に、難しくするとか、学生の顔色を見て簡単に終わらせるとかではなく、きちんと学んでいるかどうかを確認しながら行っていくという、社会的な責任を感じて教育をしてほしい、もしくは、そうすべきだと思っています。

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高校で習う数学や物理が、大学で勉強するための基礎だと思っている方、ダマされていますよ!

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現在、世界中で、名前や年数は違えど、小学校、中学校、高校、大学という感じでいくつかの段階を経て学んでいくのは、ほぼ一緒だと思います。

ただ、カリキュラムと言いましょうか、内容や表現は、国や地域によって変わってきます。

そこで、今日は、この教育システム、特に日本のカリキュラムに関して、高校で習う数学や物理の内容が、大学で勉強するための準備になっているのかどうか、議論してみたいと思います。

確かに、小学校と中学校で習うことは、初等的な内容で、生活や仕事をしたり、さらに学ぶために必要最低限であることは確かです。

しかしながら、高校で習う内容、特に数学と物理に関して言えば、大学でさらに勉強するための基礎を教えている内容ではないのです。基礎ではなく、切り取った内容でしかありません。

実際、数学に関しては、受験問題に沿った公式を覚えて、類題が解けるようになるための勉強です。物理学は、数学に似ているから、数学っぽく教えておけば、2度手間にならないから楽だろう、って感じでカリキュラムを組んでいます。

これは、当然、文科省などから「ここまで教えてもいいけど、これ以上は教えてはいけません」と通達があるのが一つの原因ですが、大学受験があるから学校側も受け入れざるを得ないやり方だと思います。

「なぜ、大学受験なの?」に関してですが、それは、一斉に行う大学受験で粗相があったら、みんなに大バッシングを受けるからでしょう。「こんなの習っていない!不公平だ!」などいろいろ文句が出ます。

それに加えて、あまり簡単なことしか教えないようであれば、受験問題を作る側もバリエーションが減ってしまうので、それなりの量も教えてもらわないと困ります。

あと、物理や数学は、暗記するような学問ではなくて、基礎原理から膨大な概念を網羅し展開していくものなので、うまい具合に高校生のカリキュラムを作るのに苦労した、という理由もあるのでしょう。

ですから、日本の高校の数学と物理は、ひじょうに中途半端な構成になっています。もし、学問としての理論に踏み込めば、際限がない世界ですからね。カリキュラム作りに関しては、ある意味、同情しますが。。。

はっきり言いましょう。高校数学と物理は、大学で勉強するための基礎ではありません。高校で物理を取っていなくても、大学初年度レベルの物理を勉強することは可能です。

もちろん、簡単ではありませんが、やる気さえあれば、中学レベルの数学や科学の知識をもって、約1年で十分全体像がつかめるくらいになります。むしろ、余計な先入観がないために、すんなり学ぶことができるでしょう。

学校の世界にも大人の事情や闇があります。もちろん、知らなければ、騙されるのは仕方がないでしょう。でも、強く思い込んでしまうのは、新しいことや真実を学ぶことへの弊害になるということも、頭の片隅に置いておくことが大切かもしれませんね。

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英語のリスニング「聞こえないんじゃない、最初から言ってないんだ」の本当の意味

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英語と一口に言っても、文法、リーディング、ライティング、リスニングにスピーキングと多岐にわたっています。

我々、日本人も日本語に関して、上の5つの能力は長い間かけて、日常と学校などで身につけていくものなのです。

しかしながら、状況によっては、急いで身につけなければいけないだとか、テストのために何とか、合格できるようなコツをつかみたい、ということも多々あります。

2020年3月現在、英語のリスニング攻略に関する授業の一部がCMとして流れています。最後に「聞こえないんじゃない、最初から言ってないんだ」というCMです。ブルース・リーの「考えるんじゃない、感じるんだ」に似たセリフで、ちょっとかっこいいですよね。

確かに、英語環境で育ったわけではないのに、テストのリスニングで点数を取らないとなれば、やはり、この先生の言うように、割り切ってコツをつかむしかないのかもしれません。

でも、一方で、ゆっくりでもいいから、しっかりした英語の知識を身につけたいという人のために、少し、細かく解説します。

実際は、英語のネイティブの人は言っているんですが、日本人には聞こえないんです。

日本語は母音の数が他の外国語より少なく、基本的に有声音だけで構成します。もちろん、早くしゃべったり、人によっては、発音を省略したり、無声音で補ったりはありますが、基本的に有声音として認識しています。

そういう日常の中で、英語のように、破裂音、無声音など、日本語では発音として認識されない音が出ると、頭の中でノイズとして処理してしまうか、無視されてしまいます。

よく外国人が言いますが、日本語は、口の先だけで発声できるので、楽にしゃべられる言語だそうです。

英語をはじめ他の言語は、口の形に加え、舌の位置、気道の形も利用して発生しています。ですから、日本語に比べると多種多様な音が飛び交っているのですが、日本人には気づけない、といったところです。

したがって、初学者の日本人にとって、英語のリスニングをするコツは、その日本語に無い発声を聞こうとするより、「最初から言ってないんだ」と思い込む方が楽に勉強しやすいのでしょう。

注意しなければいけないのは、「out of」(アウダ)、「ask him」(アスキン)というのは、日本人にはそう聞こえると割り切りましょう、という意味です。逆に言えば、スピーキングにおいて、カタカナで書いているように「アウダ」とか、「アスキン」と言っても、英米人には通じないということなのです。

「あれ、時計忘れた、今何時かそこにいるアメリカ人に聞こう」という状況で、「掘った芋、いじるな」って日本語の発音で言えば、よほど勘のいい人でない限り、理解できないので、気を付けましょう。

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