これから先、日本の大学教育のあり方について考えてみました

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元々、日本の教育というのは、欧米とは違った形で発展してきましたが、大きく時代が変わったり、戦前・戦後での価値観が変わるなど、教育の形式がいろいろと変遷してきたのも事実です。

また、どちらかというと初等、中等教育に力を入れて来ているのも特徴ですが、時代に進むにつれ、日本人の大学進学率も高くなっています。

しかしながら、欧米と比べて、大学教育そのものが重要視されていないのも特徴的で、大学入学までですべてが決まる、受験中心主義もなかなか抜けきらないところもあります。

さらに、文系と理系に分けて教育するというのも特徴的で、その間には大きな壁というか、全く違った「生き物」のように扱っているように見えます。

数十年前までは、若年層の人口も多く、日本も発展段階であったため、試験で選抜するのが一番簡単で、あとは、その試験を乗り越えるだけの根性をもとに、会社に入って奉仕し、それが日本全体を豊かにしてきた経緯もあります。

その後、だんだんと出生率が減っていきました。さらに経済においてバブル崩壊も含めて、基本、若年層の人口は減って、少子化時代と言われています。

その途中で、試験の偏差値だけでなく、いろいろな評価が必要とのことで、ゆとり教育や、受験体制の変化も含めて、特殊な能力や推薦などで入学する人も増えてきました。2020年現在で、約45%の学生が、元来の試験以外で入学しているようです。

現在、大学側からすると、若い人たちは、少ないために貴重な「お客様」となってしまったようです。しかし、ここで、大学側が教育というのを、単なるビジネスというか、お金儲けとしか考えなくなっていくことには、警鐘を鳴らしたいのです。

被教育側は、単位や学位を単に購入しているのではなく、学んだことが能力や実力となって、多種多様な貢献ができるのを見越して投資しているのです。

そうであるはずなのにもかかわらず、被教育者は、簡単に単位が取れる大学やブランド価値がある方を選ぼうとしています。一方で、大学側も、それに迎合するような形で運営し、結局、有名無実なことに一生懸命になっているのです。

大学で学ぶ内容というのは、まさに、世界や歴史の垣根を超えた学問を自由に、生で学べる場所です。ですから、きちんと学ばせて社会や世界に貢献できる人材を作ることに大学側は使命感を持つべきでしょう。

たまに聞くのですが、「単位を落としたり、落第させると、大学側の問題になる」とある教授が言っていました。

私の経験で恐縮ですが、学生時代、大学で、ある科目を取った時、結構簡単にしかも良い成績を取ったんです。「こんなものかな」と思いつつ、別の大学の大学院で分かったのが、全くと言っていいほど、その講義では、何も学んでいなかったのです。

結局、苦労して自分で学びなおさなければいけなかったのです。ある意味、仕方ないことでもあるのですが、その講義が簡単すぎたことを、あれほど恨んだことはなかったでしょう。

これからは、日本でも比較的簡単に入学できるようになってきているので、ただ単に、難しくするとか、学生の顔色を見て簡単に終わらせるとかではなく、きちんと学んでいるかどうかを確認しながら行っていくという、社会的な責任を感じて教育をしてほしい、もしくは、そうすべきだと思っています。

大人のための家庭教師

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