どこの国にも文化があり、素晴らしい考えをもって、国や世界に貢献している人たちがいます。もちろん、日本国、日本人も、そのような大事なものを引き継いできたと思います。
最近では、日本文化を日本人が見直すという機会も多くなってきていると思います。昔からの伝統があったからこそ、今の日本人があるのです。
しかしながら、現在、教育に関して言えば、日本の伝統を無視しているのではないでしょうか?
そもそも、日本の教育における伝統とは何でしょうか。いわゆる徒弟制度のようなもので、師匠についていく弟子が、議論したり、師匠の背中をみて、言葉にはできない教えから多くのことを学ぶというものです。
また、寺子屋教育のように、少人数の生徒を、手取り足取り、基礎を教え込むというのも、その派生でしょう。
現在、その伝統が残っているのが、茶道や華道、その他の伝統芸能やものづくりの世界です。彼らは、すばらしい物を受け継いで表現し、多くの人を感動させています。
一方で現代教育では、そのような伝統は影をひそめるようになりました。もちろん、ある程度の効率化やコストカットなどの理由はありますが、試験を中心とした、大量生産型の教育に成り下がってしまいました。
私の観察では、このような教育の下で作られる人材というものが「薄い」感じになってしまっているのです。本質よりも名目だけを求めるような、薄っぺらい、という意味です。
伝統的な制度において、本来、テストだけで、免許皆伝はあり得ません。師匠からは、技術だけでなく、生き方や、考え方、さらに、わからないものに対しての向き合い方などを、時間をかけて経験から学んでいくのです。
また、たとえ試験があったとしても、試験の終わりが始まりである、という覚悟を決めるのが、伝統的な教育に内在している原理なのです。
しかし、現行の教育では、統一テストを受けさせ、機械が採点した結果で一喜一憂し、合格すれば、天下取ったような振る舞いしかしないような人しか育てていないのではないでしょうか?
よく「箔がつく」と言いますが、すぐにはがれるような箔をつけるような教育機関は、日本の伝統からもっと学ぶべきでしょう。