学問に敬意を払う瞬間と本当の教育のあるべき姿とは

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この間、ある客様に統計学的な分析手法に関して一連の講義をしました。この方は、数学に関してのバックグラウンドがない、とおっしゃっていましたが、一通りの授業を終えた後に「数学を学んで、他人に対してエラそうにする感情がなくなってきた」とご感想をいただいたときに、いろいろ考えることがあったので、記事を書いてみようと思いました。

「なぜ、エラそうにしなくなったのですか」と聞いたところ、「数学の成り立ちや、分析の時の吟味のし方などを習っていると、どれだけ多くの人たちがその分野に貢献していて、真理の探究に相当な時間をかけ、試行錯誤してきたということを感じたから」だそうです。

これを聞いて、現在の教育の問題点を感じてしまいました。学校ではテストでいかに多くの点数を取るかに焦点が当てられ、学問の歴史やそれらがどのように人類に貢献し、相互作用してきたかなど、ほとんど教えていません。

そのような中で、要領が良い子は、何も考えずに親や教師の言うことを聞いて、テストで良い点を取って、良い学校や会社などの組織に進んでいくのです。

決して、テストが悪いとは言いません。一生懸命勉強することも良いことですが、その奥底に正しい気持ちと言いますか、なにか、学ぶことに関しての感謝みたいな感情を一切排除する教育社会は問題なのではないかと強く感じます。

点数を取るための手段でしかない学問、上のものに受けいられるためだけの勉強、また、そういう伝え方しかできない教育者、というのは質の良い教育と言えるのでしょうか。

逆に、大人になっていろいろな経験を積んだからこそ気づくことができる大事なものもあると思います。

人間として純粋に学ぶことに敬意が払えて、見返りを求めずに学問に感謝できるような環境を作ることが本当の教育なのでは、と気づかされた感じです。

大人のための家庭教師

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