高校まで教えられることと大学から学ぶことの違いを知っていますか?

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良く誤解されているのですが、多くの人が「高校で学んでいる内容が大学で勉強するための『基礎』である」と思っているようなんですね。

もちろん、高校での勉強が大学に役に立たないという意味ではなく、いわゆる原理・原則的な基礎を高校で学んでいるかと言えば、そうではないということをここで言いたいということです。

実は、「原理・原則」というのは学問の基礎という意味では重要で、決して理解するのが簡単ではないので、高校生には教えていないのです。

では、高校で何を教えているかと言いますと、いわゆる体験学習と言いますか、「将来、大学や専門組織でこんなようなことをやっていきますよ」という『予告』みたいなものです。映画で言うトレーラーみたいなものでしょうか。

外国語の習得という例え話で言えば、高校のカリキュラムは、その言語のアルファベット、複数の単語を覚えて、文法からどのような分が構成できるかくらいしか教えていない、というのが正しい表現かもしれません。

でも、それだけじゃ、その国の人たちと会話したり、交渉したり、説得したりすることはできませんよね。また、美しい文章を書いたりやスピーチで多くの人を魅了できたりはないですよね。

つまり、このように発展したことを学んだり実践していくのが大学、大学院以降の学問になります。

もちろん、「そんなことぐらい知ってますよ!」というと思いますが、今までの人の話によるとと「高校の教科書読んでないので、大学レベルの数学を勉強するのは無理」とか「高校の物理を忘れてしまっているので、大学レベルの物理を勉強することができません」というのが後を絶ちません。

日本ではあまりにも、年齢など順を追って学ばないと次にいけない、という神話がまかり通っていますが、欧米では、個々人の理解力や進展によって調節するような制度になっています。

つまり、飛び級だけでなく、1年など置いて、入学や進学というのもあって、学び方も自由で、それなりに理解できたら次にいけるような感じです。

日本でも、ある程度、人生経験があれば、途中からでも始められたり、小学校で習う内容に戻っても、高校や大学で習うことも理解できるようになれたらよいのではと思います。

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教師にとって生徒からの「良い」質問とは?

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あるサイトにてですが、面白い記事がありました。質問で、「今まで生徒にされた質問でもっとも知的な質問は何でしたか?」に対する答えがひじょうに興味深かったので紹介します。

彼が答えるに「私が高校の化学の教師だった時に、ある生徒に『こんなの習って何の役に立つんですか』と質問を受けました。よく考えてみたら、説得力のある答えが思いつかなかったのです。せいぜい、『大学に行って化学のクラスを取った時に役に立つ』とか『国で決めたカリキュラムだから』などしかなかったのです。私は、この質問にうまく答えられなかったことから、大学でカリキュラムのコースをとって教育の本質を学んで現在大学の教授の地位を築けました。」と。

この人は謙虚な方だったのでしょう。ある意味、教師の鑑(かがみ)ともいえる態度だと思います。しかも、この質問をもっとも知的な質問だった、という部分からも哲学的な方でもあります。

実は、教師(教授)だけでなく、生徒や学生も含めて何のための教育なのか、何のために学んでいるのか、わかっている人たちは少ないのです。

こういう質問の答えとして思い浮かぶものは「一生懸命勉強すればいい学校にけるよ」とか、「良い会社に勤められるよ」とか「みんなやってるんだから」、「社会ってそういうもんだよ」みたいに、押さえつけるような答えしか聞かないんですよね。

「自分で考えられるように」とか「生きる力を養う」などと世間では言いますが、じゃあ、それを言っている人たちが、そういうことを指導したり、説得できる能力があるのか、疑問が出てくると思います。

さらに、「こんな雲をつかむようなことをやるのは無駄」という大人たちが多くなれば、結局、「お上のいうことに従います」のように思考停止状態を積極的選ぶことになります。

テストの点数や合格した大学だけですべてを判断するのも似たような思考停止なのかもしれません。

「信じる者は救われる」と言いますが、安易な方法や安易な答えを信じるのは、間違った信仰だと思います。

教育はなかなか本質が見切れないものですが、いまいちど、謙虚に社会全体で考えてみてもよろしいのではないでしょうか。

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