あるサイトにてですが、面白い記事がありました。質問で、「今まで生徒にされた質問でもっとも知的な質問は何でしたか?」に対する答えがひじょうに興味深かったので紹介します。
彼が答えるに「私が高校の化学の教師だった時に、ある生徒に『こんなの習って何の役に立つんですか』と質問を受けました。よく考えてみたら、説得力のある答えが思いつかなかったのです。せいぜい、『大学に行って化学のクラスを取った時に役に立つ』とか『国で決めたカリキュラムだから』などしかなかったのです。私は、この質問にうまく答えられなかったことから、大学でカリキュラムのコースをとって教育の本質を学んで現在大学の教授の地位を築けました。」と。
この人は謙虚な方だったのでしょう。ある意味、教師の鑑(かがみ)ともいえる態度だと思います。しかも、この質問をもっとも知的な質問だった、という部分からも哲学的な方でもあります。
実は、教師(教授)だけでなく、生徒や学生も含めて何のための教育なのか、何のために学んでいるのか、わかっている人たちは少ないのです。
こういう質問の答えとして思い浮かぶものは「一生懸命勉強すればいい学校にけるよ」とか、「良い会社に勤められるよ」とか「みんなやってるんだから」、「社会ってそういうもんだよ」みたいに、押さえつけるような答えしか聞かないんですよね。
「自分で考えられるように」とか「生きる力を養う」などと世間では言いますが、じゃあ、それを言っている人たちが、そういうことを指導したり、説得できる能力があるのか、疑問が出てくると思います。
さらに、「こんな雲をつかむようなことをやるのは無駄」という大人たちが多くなれば、結局、「お上のいうことに従います」のように思考停止状態を積極的選ぶことになります。
テストの点数や合格した大学だけですべてを判断するのも似たような思考停止なのかもしれません。
「信じる者は救われる」と言いますが、安易な方法や安易な答えを信じるのは、間違った信仰だと思います。
教育はなかなか本質が見切れないものですが、いまいちど、謙虚に社会全体で考えてみてもよろしいのではないでしょうか。