教育は改革や自由化より、柔軟化すべき!各国の成功・失敗事例からこれからの教育を考える

大人のための家庭教師
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時代の変化によって「教育改革」というのは日本だけではなく、米国など多くの国で課題になっています。

日本では、もっと個別の能力を上げたり柔軟なカリキュラムから多彩な人材を生むべく、ゆとり教育にシフトしたかったのですが、思った通りにいかなかったというのが大方の見方です。

このように「思ったようにいかなかった」というのは日本だけではなく、アメリカも似たような事が起こっています。

今回は焦点を絞って、アメリカの教育改革の失敗からどう学んで、どのように良い形に変えていくにはどうすればよいか議論していきたいと思います。

アメリカでも日本でも同じなのですが、「他の国がうまくいっているから、その方法論をそのままやってみよう」という形で失敗しているようです。

ほかにも、何も考えずに「教育制度を自由化していろんなアイデアに補助金を出して淘汰させよう」というのも、あまりうまくいっていないようです。

前者で言えば、アメリカは数十年前、クリントン政権のあたりで、「東アジアの教育は成功しているようなので、彼らの真似をしよう」と教育改革を試みました。

その基本的な内容は、学校できちんと教えてテストを繰り返すというものでした。しかしながら、日本や韓国などではうまくいきそうですが、アメリカでは失敗しました。

いくつか理由があるのですが、まず、教師がそのようなカリキュラムで教えた(または習った)経験がなかったからだと思われます。実は、教師がどのように教えてどのようにテストを使って評価するかが分からなければ、効果的な教育ができないのです。

それに加えて、アメリカの公立学校の教師は日本に比べて従事しやすい職業、かつ、あまり給与も良くないために教育に対しての「忠誠心」も低いとも言われています。

つまり、教育カルチャーが違うので、そのまま持ってきても適用できなかったというのが教育改革には重要な観点なのかもしれません。

一方で、アメリカは初等中等教育に関しては自由で、親や家庭教師が家で教えるホームスクールも公的に認められていますし、公立校であれば高校まで無料で通えます。

また、職を変えるために大学に再入学も頻繁ですし、コミュニティカレッジのように必要な単位だけとるのも気軽にできます。

その分、高等教育(大学・大学院)の教育は世界的にも高度で、一般的に良い人材を輩出していて留学生も多いのがアメリカの教育全般の評価になります。

日本・アジアは小中高はきちんと教えていますが、大学ではきちんとした基準もないですし、画一的でそれほど競争力のあるような教育をしているようには思えません。(現在はすべてそうとは言いませんが概して…)

日本側からすると、アメリカのような自由で発想力のある教育をしたいのですが、これもいままでの教育文化から、なかなか教師や教授が順応できないというのが問題になります。

では、教育改革はどのようにすればよいでしょうか?他の評論家や自身の経験から、政府主導は失敗しがちです。理由は教育は時代によって内容や教授法が変わったり、効果がでるのに数年かかるからだと思われます。

政府ができるのは法律の変更と助成金を出すことなので、玉石混交とした応募者が集まって、全体を押しなべて評価すれば、平均以下の結果しか出ないというのが今までの結果でしょう。

ではどうすればよいでしょうか?やはり、自由化というよりは柔軟化していくことが重要になります。つまり、全部をいきなり変えることはせずに、うまくやっている教育組織や教育者を醸成できるような制度と、段階的な助成金によって地域の人とのかかわりあいから順応させるようにして新しい教育を創生していけばよいと思います。

そうすることによって選ぶ権利が保持されて、被教育者側も、うまくいかなければ変えたり、戻ったりする自由があれば、全体の環境変化にも対応できると思います。

日本は特に画一的に全員が右向け右のように制度を設定しなければいけないと自ら強制しているのが問題です。逆に、アメリカは自由すぎて、悪く言えば効果など吟味せず「適当」にやっていくような感じがあります。

どちらも良いところと悪いところがあるので、ある程度、俯瞰しながらどのようにやればうまくいくかという考える土台を社会や国が支えるようにしていけばよろしいのではないでしょうか。

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