実は、十数年前から、気づいていたのですが、高校に入ってしばらく勉強していると、なんかおかしいと思うことが多くありました。
内容が表層的というか、数学や物理であれば、公式を覚えて類題を解くということしかやらないカリキュラムに疑問を感じてしまいました。
その後、別の勉強法や数々の知識や経験を自身で探求するようになってから、やはり、当時からの教育はおかしいということを確認できました。
正確に言うと、もっといろいろな指標があるのに、1つか2つだけで、結果を評価してしまうシステムにも問題があるようです。
いくつか例をお話しします。ある人に聞いたのですが、器用だたんでしょうね。クラスをとっているうちに、良い成績の取り方が分かったようです。ただ、テストが終わった後何も覚えていなかったようです。
ほかにも、「資格試験に合格したけれど、問題や解答に関して意味がよくわからない」という方もいました。
過去問を丸暗記して資格試験に挑んだら、合格したというのも聞いたことがあります。
これは、ある本に書いてあったことです。ある有名大学卒業者が国家公務員の上級試験に合格した後に、どのように日本を変えていきたいか講釈していたようですが、「実際どのような手順でやっていくのか」と質問されてからはしどろもどろになったようです。
教育というのは、人間を通じて、物事の全体像を学んだり、いろいろな議論を通じて自分なりの答えを導き出す、などの訓練という要素も多く占めているはずです。
しかしながら、現状では正しい答えだけを求めることが最大の評価基準になっていないでしょうか。
試験は悪者ではなく、それをどう使うか、また、その結果をどのように評価するか、が重要になります。
しかしながら、試験で1点でもよければ、とか、偏差値が高ければ、無条件で良い、などという誤った信仰が蔓延しているように思えます。
自身もライフワークの一つとして、今年もいろいろ教育に関して主張していければと思います。よろしくお願いいたします。