時代が変われば状況や環境に合わせて、いろいろなものを変えていきます。そのプロセスにおいて、なぜ変えるのか、何を変えるのか、変えたら何が起きるのか、という議論は正しく行うべきです。
しかしながら、日本では、そういう議論の仕方があまり上手でないように思うのは自分だけでしょうか?
何のために18歳成人かといえば、人によって18歳から就業したり、結婚したり、社会的に独立して行動しないといけないこともあるからです。
もちろん、学問を続ける人もいますし、20歳以降もすぐに独立できない場合もあります。その場合は、親などと相談しながら、援助してもらったり、進学ならば奨学金など借りたりで柔軟に生活を送っていくのです。
ただ、昨今の議論を聞いていると、「法律では18歳が大人だから、18歳で必ず親に無断で大きな契約を結ばないといけない」というような風潮で話されるように思えます。
まぁ、これは極端ですが、「18歳はまだ未熟だから詐欺などに騙されやすい」から、法律改正反対!など、押しなべて議論してしまう傾向はあります。そうなると大人ってどう定義するの、というそもそも論になりますが、そんなことをすれば収拾がつかなくなるでしょう。
例えば、生物学的には個人差はあるにせよ、15歳を超えれば、大体、大人です。
しかし、特殊詐欺やネット詐欺などだまされるかどうかで言えば、20代、30代以上でも被害にあいます。
そこで、経済的など社会的に責任をとれるのかどうかが基準になると思いますが、次の議論も出てきます。
現在、20代・30代の投票率が低く、選挙に行くのは50代以上が多いのです。となれば、政治的に社会を理解して責任が取れるには、もっと年を重ねなければいけないとも言えます。(これは民主的な国では日本に顕著な現象ですが)
結局、大人であるかどうかは、個人差、地域差、知識差など様々な基準で変わってきます。
本来ならば、学校やセミナーなど、18歳になる前に、必要な情報や判断材料を教育すべきなのです。法律だけですべては良くならないということです。
ここで思うのは、日本の学校で生徒が大人になっていくように教育しているのかという疑問です。なにか、受験のために他のことはなるべく省いて大学などに送り出しているようにしか見えないのです。
つまり、本当の意味で責任をとれるように教育していないように思えます。
他の方も言っていますが、学校で教えなければいけないことで、「お金のこと」「人とのコミュニケーションの取り方」も加えるべきとよく言われますが、法律や政治もの本質的なことも教えるべきだと思います。
大人になってからも学ぶべきことはあ少なくありません。もっと自由に学べたり、意欲があれば、国や地方自治体も援助するプログラムがあってもよいでしょう。
いずれにせよ、問題と、それを解くための公式、そして答えだけを刷り込むような教育は限定的にしていくことが大事だと思います。