教育は改革や自由化より、柔軟化すべき!各国の成功・失敗事例からこれからの教育を考える

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時代の変化によって「教育改革」というのは日本だけではなく、米国など多くの国で課題になっています。

日本では、もっと個別の能力を上げたり柔軟なカリキュラムから多彩な人材を生むべく、ゆとり教育にシフトしたかったのですが、思った通りにいかなかったというのが大方の見方です。

このように「思ったようにいかなかった」というのは日本だけではなく、アメリカも似たような事が起こっています。

今回は焦点を絞って、アメリカの教育改革の失敗からどう学んで、どのように良い形に変えていくにはどうすればよいか議論していきたいと思います。

アメリカでも日本でも同じなのですが、「他の国がうまくいっているから、その方法論をそのままやってみよう」という形で失敗しているようです。

ほかにも、何も考えずに「教育制度を自由化していろんなアイデアに補助金を出して淘汰させよう」というのも、あまりうまくいっていないようです。

前者で言えば、アメリカは数十年前、クリントン政権のあたりで、「東アジアの教育は成功しているようなので、彼らの真似をしよう」と教育改革を試みました。

その基本的な内容は、学校できちんと教えてテストを繰り返すというものでした。しかしながら、日本や韓国などではうまくいきそうですが、アメリカでは失敗しました。

いくつか理由があるのですが、まず、教師がそのようなカリキュラムで教えた(または習った)経験がなかったからだと思われます。実は、教師がどのように教えてどのようにテストを使って評価するかが分からなければ、効果的な教育ができないのです。

それに加えて、アメリカの公立学校の教師は日本に比べて従事しやすい職業、かつ、あまり給与も良くないために教育に対しての「忠誠心」も低いとも言われています。

つまり、教育カルチャーが違うので、そのまま持ってきても適用できなかったというのが教育改革には重要な観点なのかもしれません。

一方で、アメリカは初等中等教育に関しては自由で、親や家庭教師が家で教えるホームスクールも公的に認められていますし、公立校であれば高校まで無料で通えます。

また、職を変えるために大学に再入学も頻繁ですし、コミュニティカレッジのように必要な単位だけとるのも気軽にできます。

その分、高等教育(大学・大学院)の教育は世界的にも高度で、一般的に良い人材を輩出していて留学生も多いのがアメリカの教育全般の評価になります。

日本・アジアは小中高はきちんと教えていますが、大学ではきちんとした基準もないですし、画一的でそれほど競争力のあるような教育をしているようには思えません。(現在はすべてそうとは言いませんが概して…)

日本側からすると、アメリカのような自由で発想力のある教育をしたいのですが、これもいままでの教育文化から、なかなか教師や教授が順応できないというのが問題になります。

では、教育改革はどのようにすればよいでしょうか?他の評論家や自身の経験から、政府主導は失敗しがちです。理由は教育は時代によって内容や教授法が変わったり、効果がでるのに数年かかるからだと思われます。

政府ができるのは法律の変更と助成金を出すことなので、玉石混交とした応募者が集まって、全体を押しなべて評価すれば、平均以下の結果しか出ないというのが今までの結果でしょう。

ではどうすればよいでしょうか?やはり、自由化というよりは柔軟化していくことが重要になります。つまり、全部をいきなり変えることはせずに、うまくやっている教育組織や教育者を醸成できるような制度と、段階的な助成金によって地域の人とのかかわりあいから順応させるようにして新しい教育を創生していけばよいと思います。

そうすることによって選ぶ権利が保持されて、被教育者側も、うまくいかなければ変えたり、戻ったりする自由があれば、全体の環境変化にも対応できると思います。

日本は特に画一的に全員が右向け右のように制度を設定しなければいけないと自ら強制しているのが問題です。逆に、アメリカは自由すぎて、悪く言えば効果など吟味せず「適当」にやっていくような感じがあります。

どちらも良いところと悪いところがあるので、ある程度、俯瞰しながらどのようにやればうまくいくかという考える土台を社会や国が支えるようにしていけばよろしいのではないでしょうか。

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2021年ノーベル物理学賞の報告を、テレビでは聞けない少し違った視点で

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2021年の物理学賞が発表されました。今回は複雑系への研究と貢献に対してですが、眞鍋淑郎氏、Klaus Hasselmann氏とGiorgio Parisi氏に授与されました。

以下、アメリカの雑誌、Physics Todayの記事をを参考にさせていただいて、こちらの独自目線も含めて解説します。

眞鍋氏は、太陽からの輻射、地球大気の対流、蒸気の潜熱などのパラメータが絡み合って実現する初期の天候モデルを発展させました。それによって1967年の炭酸ガスと地球表面温度の上昇を導き出しました。

それから約10年後、Hasselmann氏は、確率過程の天候モデルを作り、天気のゆらぎをノイズとしてとらえ、離散的な現象が天候に影響を与えることを示しました。

一方で、Parisi氏は、いわゆる「スピングラス問題」といってどのように磁気スピンが周りのエネルギー状態や幾何学的な状況によって、そのパターンが決まってくるかを研究していました。スピンとは磁気を帯びている物質の基本的な単位と思っていただけるとよいと思います。この研究結果が数学、生物、神経科学や機械学習の分野にも影響を与えました。

複雑系というのは、定式化することが難しいことで有名です。ただ単に、いろんなことが絡み合っているからというだけでなく、予測可能なモデルが作れるかが重要な点です。

そもそも物理科学における気象予報の始まりは、天文観測からですが近年では、ローレンツという物理学者が対流などを考慮したミクロなモデル、すなわち雲の動きを予測する方程式がはじまりでした。

しかしながら、それをコンピュータで解いてみてわかったのは、そもそも3日より先の天気は予測できないというものでした。

気象なども含めて地球全体の現象を予測するのは至難のワザなのですが、より使いやすく、より理論的な考察に富んだモデルによって長期的な予測ができるというのは、画期的なことになります。

先ほど言った通り、複雑系を逐次、正確に追うことは不可能ですが、確率的に予測できて長期的に十分、使用に耐えうるのであれば、人類の生活においても様々な点で貢献することになります。

また、地球上にあるものすべてが複雑系の要素を含んでいます。原子や分子などの構造、生物、動物、人間も含めて大なり小なり複雑系です。

逆にその複雑さを解明することによって、いろいろなものにある基礎的な原理が分かり、そこから人類に貢献できるようなものが生み出されるというものも興味深いところですね。

編集後記
日本国内では今回のノーベル賞に関して、温暖化や気象のことしか話していませんが、物理学に長く従事してきた者からすると「複雑系・非線形系」の研究者全体に対しての評価とみています。この分野が発見また発展してきたのは20世紀の中盤から後半にかけてです。複雑系は簡単に結果が出るわけでもなく分析手法も多数あったのですが、大きな進展というよりは、長い間かけて少しずつ発展してきた分野です。うがった見方ですが、今回は、この3人をもって、今まで従事してきた方々すべてを表彰したと思っています。

アメリカにおける教育問題、チャータースクールをめぐる初等・中等教育の改善とその闇

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チャータースクールとはご存じでしょうか?これはアメリカなどで採用されている制度で、志を持った教師や、親御さん、その他、地域の大人が集まって子供たちのために作る税金でまかなわれる学校のことを言います。

「でもそういう学校ならば公立学校があるのでは」とお思いでしょう。確かに、システムとして公立学校が全地域にあり、小中高と無償で通うことができます。

しかしながら、教師の質がまちまちで、地域によってはひどいところもあるので、じゃあ、そこの人たちでより良い学校を立ち上げるのであれば、それに国がお金を出しますよ、というのがチャータースクールです。

日本人の感覚からすると、2度手間といいますか、税金の無駄遣いにもなりそうですが、とりあえず、そういう制度がアメリカにはあります。

また、アメリカでは日本でいう「塾」という需要が少ないので、塾を経営する大きな企業もありません。まぁ、大学までの受験戦争自体ないからなんですけれど。

では、チャータースクールはうまくいっているのでしょうか。そういうところもあるとは思いますが、結構問題の学校が多く、ある教育の専門家は、頻繁にいろんなところのチャータースクールを批判しています。

とにかく、「こういう方法で学力が上がる」という安易な発想で教育しているところが多く、アメリカ的には「本当の教育」ではないという代物です。

ほかにも、教師は何も教えず、コンピュータの前に座らせてひたすら問題を解くということをやらせるようです。もちろん、テストの平均点は上がるのですが、これが教育なのだろうか、と疑問を持つ人も多いようです。

日本でも「生きる力」とか言われますが、それを教育の場で実践するのは、本当にそういうことをやってきた人でないとうまくできません。

また、特定のテストで点を上げたいのならば、そのテストの対策をすればよいだけで、それをもって良い教育なのかという疑問も出てきます。

どこの国でもそうですが、安易に教育の制度を変えたり、国がお金を出したりしただけでは、質の良い教育というのは続かないということです。

今の日本は点数を上げる教育は得意ですが、それが本当に未来の社会や国に役に立っているのかどうか精査するのも重要です。つまり、テストの平均点が下がった上がったで一喜一憂するような見方をしてはいけないのです。

また、教育とは何かということを専門家なども含めて社会全体が学んでいかなければ、これからも無駄なお金を使い続けることにもなるでしょう。

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最近の脱組織の傾向(出版社、芸能事務所など)学校教育もその一つになり得るか?

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最近、よく聞きますが、芸能事務所から独立する人たちが増えているようです。今までであれば、圧力がかかったりして、独立後に仕事がなかったりなど、いわゆる「干される」ということが最近では減ってきたのでしょう。(いろいろ理由はあると思いますが)

ほかにも、大会社を辞めて独立したら、その会社から圧力がかかって、取引ができないということもあったという噂ですが、現在では、法律的にも、また、プラットフォームも複数存在するなどから、そのようなことは減っているように思えます。

また、漫画などの世界では、出版社が旧態依然のような考え方で、今の漫画家なんかは、脱出版社の方向に行っているという話もあります。

これは、今のようにネットでのプラットフォームが多くなれば、「無料」という手段を使って、うまく「サブスクビジネス」に導くというのが最近の傾向らしいのですが、古い人たちは、そのようなものになじめず、必ず紙の媒体を書店で買うべき、という考え方が強く、なかなか活路を見いだせないので若い漫画家は嫌気がさしているとか。

このような動向というのは、教育に関しても言えるのではないでしょうか。現在では多くの知識は本のみではなくネットでも手に入れられ、さらに無料で動画でも提供されているのです。

その中で、学校は、現在の制度や法律に従えば黙ってでもどんどん学生が入ってくるのです。そのような状態で「企業努力」などほとんどないような状況でしょう。

したがって状況が変われば、多くの教育組織から教師や生徒も独立していく、ってことも起こっていくかもしれません。

そういう意味で、もっと時代に即した学校組織も増えていくことも考えられます。私の経験から、良い教師は全体の5~10%でしょうか。また、彼らのほとんどが一般の社会などで経験もないので、いわゆる世間知らずといいますか、勉強以外に対して柔軟な対応ができないなどいろいろと問題も引き起こします。

端的に言えば、マネージメントがいい加減で、それでいて教育や研究の仕方など非常に効率が悪かったり、効果的でないことが多いのです。

もし、そういうのに対抗できる組織や人が現れ、法律などの規制も緩和されるようになれば、今ある教育組織も淘汰されていく可能性があるのではないでしょうか。

ただ、私の立場では、教育の完全自由化は、社会や国にとって危険なので、柔軟化と検証を元に、適正に回していけるような制度や育成をしていくべきだと思います。法律だけ変えれば教育も良くなるという考えでは、うまくいかない可能性のほうが高くなるのですが、それはまた別の機会にお話しします。

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日本人にはないアメリカ人特有の価値観、権力は腐敗する・テストは教育の自由を奪う

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今回はアメリカ人特有の価値観についてお話します。日本人にとっては「なぜ」というところもありますが、理由が分かれば理解できると思います。

もちろん、すべてのアメリカ人がそうだとは言いませんが、やはり、社会全体に考え方の傾向があって、潜在的な行動は似てくるというのも事実です。

まず、アメリカ人は「権力は強ければ必ず腐敗する」という考えがあります。もちろん、権力がないと実行力もなくなりますし、リーダシップも取れないので、権力は与えても、任期は制限しています。例えば、大統領や州知事は、最長8年が任期です。

やはり、権力が強く、しかも長い間続くと、いろいろなしがらみや、利権などが生まれるからです。また、人間ですから常に完璧でもないですしね。とにかくいろんな意味で、抑制と均衡というものを考えるのがアメリカ人です。

教育の場でもそうですが、教授は学生に何を教えるか、どのような評価をするか、また、その基準はどうなのかを学期が始まるときに説明します。逆に学期末には学生がその教授を評価します。これも抑制と均衡です。人間の世界に「絶対」はないから、ということです。

一方で日本では、政治権力において明確な任期というのがない場合が多いでしょう。党によっては定めていますが、知事なんかは十数年も続けているようなところもあります。

ほかにも、政権与党が同じ党で何年も続くというのも一例ですね。「この党しかうまくやれないでしょう」という意見もありますが、やはり長く続くといろいろなしがらみができて、結局、一部の人たちしか潤わなくなっていきます。

基本的には、日本では権力構造と政治システムに関して欧米のような歴史がないので、上のような考えになっていくのでしょう。また、日本はどちらかというと現人神(あらひとがみ)信仰といいますか、人をあがめる傾向にあるのも原因です。

アメリカ人、特にキリスト教徒であれば、人間は完ぺきではないから、神を信仰します。つまり、自身が倫理的であるかどうかを神にチェックしてもらう感じです。ですから人間に対する評価は是々非々で、よいものは良く悪いものは悪いと言えます。(もちろん、全員ではなく、一部の人たちは極端に感情に任せて批評しますが)

日本人の「人を信じよう」とする良心は素晴らしいのですが、裏切られた時の反動もすさまじいので、システム的に担保するような考えも必要になってくるでしょうね。

もう一つは、テストに対する考え方ですが、欧米ではテストは万能ではない、という考えです。とくにアメリカでは、テストだけで(またはテストを基準に)教育することに反発があって、教育において教える自由や学ぶ自由を奪っているという理由で批判することも多いです。

いわゆる、標準テストといいますか、そういうもので、すべて規定されるのがアメリカ人の価値として合わないようですね。

では、アメリカではどのように人を評価するかといいますと、経験や結果で見ています。何かをやった経験があれば、すぐにできるでしょうし、あることを成し遂げていれば、それに近い他のこともできるのではという考えです。

一方で日本では、テストを照準に勉強しますし、資格試験もそうですが自身を定量化しやすいので、テストというのを重宝しているように見えます。

これも、社会的な価値観でしょう。テストがあって、その過去問などを解きながら、しっかりマスターできることに本人も社会も満足し、実際に功を奏しているからだと思います。

もちろん、どちらのやり方も長所と短所があります。前にも言いましたが、価値観が違えば、導入するのに失敗したり時間がかかることもあるということです。逆にどちらの価値もやり方もわかっていれば、欧米流、アジア流のいいとこどりもできるということなのです。

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口下手で忖度上手な日本人を教育の立場から考えてみました

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最近、メディアなどでも、「日本だけ取り残される」だとか、「海外への説明があまりうまくできていない」「いつも内向きの話題で終始する」など言われていますが、なぜなのでしょうか。

おそらく、日本の教育がそのような人材を多く作ってきたと思います。もちろん、教育というのは良い面と悪い面の両方に影響を与えますが、長い間、同じように行えば、マンネリ化して、人々の行動も同じようになり、自浄作用もなくなってくるのだと思われます。

日本における学校の雰囲気でいえば、先生の言うことをしっかり聞いて、時間やルールを守りましょう、というのが基本です。

勉強というのはテストでよい点が取れるように、正しく記憶し、かつ、素早く解答できることが目的となっています。

先生は良く「これは大事なことだから1回しか言わないからな」といいます。これは、暗に質問は受け付けないし、わずらわすことは一切しないでほしい、ということをほのめかしています。

また、親も先生も、言い返せば「口答えはするな」と服従することがあなたの人生にとっては楽なんだよ、とばかりに洗脳します。

国語の授業では、「作者は何を言おうとしていますか」という質問が多く、これが、いかに相手を忖度するかの訓練になっています。作文も感想だけで、意見を言ったり、説得するような内容はほとんどありません。

英語の授業は、文法と英文解釈がほとんどで、いかに暗号のような難しい文章を素早く解釈するか、という訓練になっています。

すでにお分かりのように、いかに周りの言っていることを理解したり、難しい文章を素早く処理し、自己表現は一切せずに、素早く正確にその場で合わせて行動するという訓練を「まじめ」に受けていれば、当然、口下手で忖度上手な人を生むことになるのではないでしょうか。

ここで言いたいことは、決してそういう人が「悪い」と単純に言うつもりはありません。これはこれで能力です。しかし、教育の場でそういう価値をすべての生徒に押し付けるのは、問題ですし、そうでない教育を選ぶ権利もあるのではないでしょうか。

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アメリカにおける教育の「質」論争と、教育利権の闇とは

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アメリカで著名な教育評論家にダイアナ・ラビッチさんという人がいるのですが、彼女のブログから抜粋した、アメリカの初等教育に対する批判記事の一部を紹介したいと思います。

ある学校で使われ始めた数学の教育ソフトがあまりにもひどい質なのに、使い続けることに教師たちが疑問を感じたというところから始まります。

まず、問題の内容があまりにも粗雑すぎる点です。例えば、これを受ける子供たちのレベルなどを無視しています。

また、問題の内容が偏っていたり、能力を診断するのに適切ではない問題が2割ほど占めているようです。

さらに、考えさせるような問題でなかったり、問題に対する答えの選択肢が稚拙だったりというのもあるようです。

例えば、次のような問題です。(元の記事はこちらです)

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「11匹の動物のうち7匹は猫です、それでは犬は何匹いるでしょうか」という問題ですが、選択肢が下のほうに4つあります。一番右の「7+11=18」は題意にあっていないと思われますが、その他の3つの選択肢は、必ずしもどれかが間違いとは言えません。

おそらく、日本人であれば、左から2番目を選ぶと思いますが、数学的な考えを養う立場で、文脈の違いを考慮すれば3つの選択肢は等価では、とアメリカ教育では考えます。

つまり、このような問題と答えで子供の能力を測定するのは、アメリカ流の教育からすると、論争を生むのです。

結局、このような問題をやらせると、いわゆる、「賢い」子供たちは、良い評価を得られる一方で、「発想力」のある子供たちを低評価する傾向にあります。

日本人からすると、首をかしげたくなるような批判ですが、個人の学ぶ自由と広範な評価を大切にするアメリカの精神が反映しています。

何度も言っていますが、日本流、アメリカ流の教育も片手落ちであることを前提に、質の良い教育を実現するには、もっと深いレベルで理解・議論しないといけないということです。

話を戻しますが、「では、なぜある学校はこのようなソフトを導入しているのか」です。ほとんどの教師に反感を買っているのにです。

実は、そのソフトを扱っている会社、政治家、その他権威のある人たちと裏で結びついているようなのです。いわゆる教育の利権といいますか、教育を金儲けに使っているというアメリカではよくあるパターンのようです。

アメリカの教育の議論は、政治、金儲け、それと国民の良心によってせめぎあっているというのが事実といったところでしょう。

日本でもただ単に、二項対立的にどっちがいいのかと叫んだり、お上の決めることに反対する・服従するというのではなく、教育に関してもっと深い議論が行えればと、切に願っています。

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「生きる力を養う」と昔から言うけれど、制度に矛盾はないでしょうか?

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最近コマーシャルなどで、「この先、役に立つ生きる力のために」「教えているのはその科目の先」「子供たちの学びたい意欲をぐいぐい引き出し」「世界に通用する人材に」などなど、聞こえがいいことは、よく聞くのですが、本当にそうできるのでしょうか?

生きる力をはぐくむ教育を、というのは、そもそもは「ゆとり教育」にもありました。もちろん、いつの時代にも重要なことですが、時代によって、どういう部分を強調するかなのだと思います。

ただ、大事なのはわかっているけれど、実際は、はぐくむまでに至っているのかどうかでしょう。もちろん、すべてうまくいっていないとは言いませんが、「生きる力」「発想力」「自発的な」ということができるようになるには、教育においても「連続的な」努力が必要になってきます。

ほぼ自由放任にした場合、自発的に生きる力を身に着けていける生徒は、私の経験から言えば、全体の3%もいないでしょう。また、時間も長期にとらなければ効果が出るまでにはいかないと思います。

一方で、厳しいルールや目的を作って、それに向かって、訓練するというのであれば、生徒の内容にもよりますが、数十パーセント以上は、学力を上げることができます。

しかし、発想力や生きる力などは、身につかないでしょう。むしろ、このような学習環境であれば、短期に能力を上げるために、悠長な指導はできないという理由からです。

そこで考えないといけないのは、生きる力をはぐくむためには、学校制度や社会制度、それに付随する環境や文化も変化させていかないとうまくいかないということです。

短期的に目に見えるゴールに向かうのがより良い価値なのか、それとも、長い期間をかけて、失敗や成功ともども共有しながら、面白いものを作ったり、いろいろな社会的問題を解決するのに価値を置くのか、で全く変わるでしょう。

前にも言いましたが、アメリカは自由奔放で新しい発想や、発明、面白いことに価値を置きます。一方で日本は、ゴールに向かっていかに効率よく正確に結果を出すかに価値を置いています。

どちらも一長一短で、どちらの国もその根本のところを変えられずに悩んでいるというのが事実です。

生きる力をはぐくむには、自由な教育制度や、そこから生み出される価値を評価する社会風潮が必要ですし、正確に素早く処理をする人材を教育するには、その方法論に対する理解がないと始まりません。

口で言うのは簡単で、実際に行うのは難しいというのは、いつの時代もそうですし、どのような分野でも同じであるということでしょう。

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アメリカ、教育改革の失敗、エマニュエル・トッドの家族論と日米の教育比較

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タイトルを読むと、ややこしくて、眠くなるのかな、とお思いでしょうが、極めて身近なお話です。

教育というのは、その国の文化や価値観が動機になっていることが多く、それゆえ、他国の教育法をそのまま導入してもうまくいかない、というのをいろいろな視点で議論してみたいと思います。

エマニュエル・トッドさんをご存じでしょうか?彼はフランスの歴史人口学者で、各国の家族の在り方によって社会や歴史を分析されている人です。

解説書など読んだことがあるのですが、非常に興味深く、なぜ、ソ連が崩壊したかなど、家族に関する視点から説明しています。

ざっくりいうと、日本は「直系家族」で親が子に対して権威的で兄弟間は不平等となっています。(長男の地位がより重要など)

アメリカ(特にアングロサクソン系)は、「絶対核家族」と言って、親子は独立していて、家族全般の価値が自由放任的、個人の価値観を主体にしている、というものです。

彼の論点は、国全体の傾向や文化というものは、その国の個々の家族からきているものなので、簡単に変わるものではなく、国の意向もそれに従って行くということです。

実は、この家族という視点でいうと、その国の教育のやり方にまで影響を与えています。ここからは私の経験からの話になります。

日本は教師に関する権威、つまり、上に対する服従というのが絶対視される傾向にあります。そのため、文科省なり上から与えられるカリキュラムをそのまま受け入れ、試験というものを通じて、それを完璧に体得することが目的となります。

一方で、アメリカは、勉強したければいつでも勉強できます。また、準備が不十分であれば、子供でも1年待って学校に入学させるなど、個人を尊重します。また、アイデアがあれば、いつでもどこでもビジネスができる風潮ですし、家族も社会全体もそれを優遇します。

みなさんは「そんなことは知っている」と言うでしょう。しかし、教育法となるとこのような知恵は完全に無視して、法律的に無理やり導入しようとするのです。しかも見事に失敗していくのです。

日本の場合、試験ばかりで凝り固まっている人材だと先行きが不安ということで、もっと自由で発想豊かな人材をはぐくむ教育法を導入してはと、いわゆる「ゆとり教育」が始まりました。

本来、欧米的な教育の良いところを真似したかったのですが、「直系家族」である日本が、自由な形で教育はできないのです。必ず、親や先生の言うことを聞いてしっかり「身に着ける」ことができて教育の成功としている価値のもと、ゆとり教育がなじめなかったのは当たり前なのです。

それでは、アメリカはどうでしょうか。かつてのアメリカには広大な土地と資源があり、それを自由に使えていた時は自由な教育で活性化していました。

しかし、時代が進み、グローバル化の中で、安くて良質な輸入品が入ってきたり、優秀な外国人などがアメリカ人の地位を脅かすようになってきて、アジア流の教育方法を導入することになりました。

いわゆる標準テストによって理解度を確認しながら学力を上げていこうと、日本をはじめアジアの教育の良いところを真似しようとしたのですが、自由や個人のやり方を尊重する「絶対核家族」なアメリカで成功するはずがありません。

その後、「標準テストに基づく教育には反対」する教師や教育学者がアメリカで増えていったのも事実です。(日本人からするとテストに反対するなんて信じられないと思いますが、これも価値観の違いです)

教育というのは制度を変えたり方法を導入するだけでうまくいくものではありません。もちろん、お金をかければ一時的には良くなるでしょう。しかし、長い期間で考えるのであれば、文化、価値、社会的なものを考えなければ教育というのは成功しないと思います。

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Thank you. に You are welcome. って言っちゃいけないの?英語のニュアンスの大切さ

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この間、デイビッド・セイン氏の書いた「日本人のヘンな英語」という本を買って読んだのですが、いろいろ日本人が勘違いしやすい表現など面白く書いていたので、私自身の経験から関連事項をいろいろ議論してみたいと思います。

日本語でもそうですが英語も同じ内容で複数の表現があります。例えば、「ありがとう」であれば、Thanks, Thank you, Thank you very much, I appreciate it, などありますが、基本的には、右に行けば行くほど丁寧な表現とされています。

ただ、注意しなければいけないのは、状況や、発声、表情などにより、同じ単語でも皮肉に聞こえたりするようです。これには答えはないとのこと。人によっては、お礼に「I appreciate it.」など使われると重く感じたりもするようです。

また、感謝に対していう言葉「どういたしまして」にも複数あって、You are welcome, No problem, No worries, Don’t mention it, My pleasure, Anytime, Sure, Thank you など多くの表現があります。

この用法に関してはアメリカ人の中でも論争があって、ある人は、「Thank you. に対しては、You are welcome. が正当な返事でしょう、No problem. なんて違うでしょう!」という人もいれば、「You are welcome. は半分死語のようで堅苦しく聞こえる」という人もいます。

(あるネイティブがいうには、フォーマルな状況では「You are very welcome.」とか、「It was my pleasure.」などの表現が好ましいとのこと)

若い人だと、No problem、や Sure なんかが多いですね。また、Anytime も使われますが、「いつでも頼んでいいですよ」みたいなニュアンスです。

まぁ、どれが正しいというのではなく、人によって印象がかわったり、時代によって使われなくなったりと、生きている言語にはありがちなことです。日本語にも、はやりすたれがあったり、人によっては好き嫌いがある表現などあったりで、臨機応変に単語を使っているはずです。

挨拶に関する単語では、Hey、Hi、Hello、の違いを質問したことがあるのですが、人によっては全部同じニュアンスだといってました。他の人によれば、Heyはやや砕けた感じで、Helloはどちらかというとフォーマル、Hiはその中間のようなニュアンスという人もいたので、単純にどれが正しいかは言えないようです。

こう考えると、語学を学んで実践するというのは、どう伝わるか、どんなニュアンスなのかを人によって臨機応変に感じたり、表現しなおしたりというのが醍醐味なんでしょうね。

アジアにおける英語の教育はどちらかというと、暗号の解読、または、暗号の作り方みたいに終始していて、正しいか間違いかだけにフォーカスしすぎているかもしれないですよね。もちろん、テストを中心とすればある程度は仕方ないんですけどね。

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