高校で習う数学や物理が、大学で勉強するための基礎だと思っている方、ダマされていますよ!

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現在、世界中で、名前や年数は違えど、小学校、中学校、高校、大学という感じでいくつかの段階を経て学んでいくのは、ほぼ一緒だと思います。

ただ、カリキュラムと言いましょうか、内容や表現は、国や地域によって変わってきます。

そこで、今日は、この教育システム、特に日本のカリキュラムに関して、高校で習う数学や物理の内容が、大学で勉強するための準備になっているのかどうか、議論してみたいと思います。

確かに、小学校と中学校で習うことは、初等的な内容で、生活や仕事をしたり、さらに学ぶために必要最低限であることは確かです。

しかしながら、高校で習う内容、特に数学と物理に関して言えば、大学でさらに勉強するための基礎を教えている内容ではないのです。基礎ではなく、切り取った内容でしかありません。

実際、数学に関しては、受験問題に沿った公式を覚えて、類題が解けるようになるための勉強です。物理学は、数学に似ているから、数学っぽく教えておけば、2度手間にならないから楽だろう、って感じでカリキュラムを組んでいます。

これは、当然、文科省などから「ここまで教えてもいいけど、これ以上は教えてはいけません」と通達があるのが一つの原因ですが、大学受験があるから学校側も受け入れざるを得ないやり方だと思います。

「なぜ、大学受験なの?」に関してですが、それは、一斉に行う大学受験で粗相があったら、みんなに大バッシングを受けるからでしょう。「こんなの習っていない!不公平だ!」などいろいろ文句が出ます。

それに加えて、あまり簡単なことしか教えないようであれば、受験問題を作る側もバリエーションが減ってしまうので、それなりの量も教えてもらわないと困ります。

あと、物理や数学は、暗記するような学問ではなくて、基礎原理から膨大な概念を網羅し展開していくものなので、うまい具合に高校生のカリキュラムを作るのに苦労した、という理由もあるのでしょう。

ですから、日本の高校の数学と物理は、ひじょうに中途半端な構成になっています。もし、学問としての理論に踏み込めば、際限がない世界ですからね。カリキュラム作りに関しては、ある意味、同情しますが。。。

はっきり言いましょう。高校数学と物理は、大学で勉強するための基礎ではありません。高校で物理を取っていなくても、大学初年度レベルの物理を勉強することは可能です。

もちろん、簡単ではありませんが、やる気さえあれば、中学レベルの数学や科学の知識をもって、約1年で十分全体像がつかめるくらいになります。むしろ、余計な先入観がないために、すんなり学ぶことができるでしょう。

学校の世界にも大人の事情や闇があります。もちろん、知らなければ、騙されるのは仕方がないでしょう。でも、強く思い込んでしまうのは、新しいことや真実を学ぶことへの弊害になるということも、頭の片隅に置いておくことが大切かもしれませんね。

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英語のリスニング「聞こえないんじゃない、最初から言ってないんだ」の本当の意味

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英語と一口に言っても、文法、リーディング、ライティング、リスニングにスピーキングと多岐にわたっています。

我々、日本人も日本語に関して、上の5つの能力は長い間かけて、日常と学校などで身につけていくものなのです。

しかしながら、状況によっては、急いで身につけなければいけないだとか、テストのために何とか、合格できるようなコツをつかみたい、ということも多々あります。

2020年3月現在、英語のリスニング攻略に関する授業の一部がCMとして流れています。最後に「聞こえないんじゃない、最初から言ってないんだ」というCMです。ブルース・リーの「考えるんじゃない、感じるんだ」に似たセリフで、ちょっとかっこいいですよね。

確かに、英語環境で育ったわけではないのに、テストのリスニングで点数を取らないとなれば、やはり、この先生の言うように、割り切ってコツをつかむしかないのかもしれません。

でも、一方で、ゆっくりでもいいから、しっかりした英語の知識を身につけたいという人のために、少し、細かく解説します。

実際は、英語のネイティブの人は言っているんですが、日本人には聞こえないんです。

日本語は母音の数が他の外国語より少なく、基本的に有声音だけで構成します。もちろん、早くしゃべったり、人によっては、発音を省略したり、無声音で補ったりはありますが、基本的に有声音として認識しています。

そういう日常の中で、英語のように、破裂音、無声音など、日本語では発音として認識されない音が出ると、頭の中でノイズとして処理してしまうか、無視されてしまいます。

よく外国人が言いますが、日本語は、口の先だけで発声できるので、楽にしゃべられる言語だそうです。

英語をはじめ他の言語は、口の形に加え、舌の位置、気道の形も利用して発生しています。ですから、日本語に比べると多種多様な音が飛び交っているのですが、日本人には気づけない、といったところです。

したがって、初学者の日本人にとって、英語のリスニングをするコツは、その日本語に無い発声を聞こうとするより、「最初から言ってないんだ」と思い込む方が楽に勉強しやすいのでしょう。

注意しなければいけないのは、「out of」(アウダ)、「ask him」(アスキン)というのは、日本人にはそう聞こえると割り切りましょう、という意味です。逆に言えば、スピーキングにおいて、カタカナで書いているように「アウダ」とか、「アスキン」と言っても、英米人には通じないということなのです。

「あれ、時計忘れた、今何時かそこにいるアメリカ人に聞こう」という状況で、「掘った芋、いじるな」って日本語の発音で言えば、よほど勘のいい人でない限り、理解できないので、気を付けましょう。

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学校で習わない事実!数学と物理の違いって知っていますか?

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英語と日本語(国語)の教科の違いは皆さん、ご存じでしょう。しかしながら、数学と物理の違いというものは意外と分かっていないんではないでしょうか。

端的に言えば、物理学は科学になります。しかし、教科書をのぞくと、数式が羅列されていて、問題を解く方法だけ見ると、数学とほとんど変わりません。

したがって、意外と大人の方でも、正確な違いや数学と物理学の関係性を説明できない人が多いようです。これは、学校で教えていないのが原因だと思いますし、受験科目のうちの一つであれば、そこまで知る必要がないと思われているかもしれません。

他にも、物理学は難しいので学校で教えなくなる傾向があったり、ノーベル物理学賞も、日本人が取ってないと一般のテレビで報道すらしないというのを見ても、そもそも一般の理解がないという現状がわかるでしょう。

それでは、物理学と数学の違いは何なのでしょうか。数学は論理世界への探求で、物理学は、自然世界の探求する学問です。

「そんなことはわかっている」という人も多いと思います。それでは、もう少し掘り下げてみましょう。数学というのは、自然で何が起こっているのかはどうでもよく、論理的であるかどうかに興味があります。

その論理を展開していくにつれてあるルールが見えてくると、それを証明します。このように、論理の世界を広げていくというのが数学の役割になります。論理的で緻密であることが求められるのですが、人間の住んでいる世界との整合性は関係ありません。

一方で物理学は、自然の反応(実験結果)をもとに、どのようなメカニズムをしているか解明する学問です。当然、その全貌を明らかにすることによって、理論が構築され、その理論から、実験結果を一般的に予測できるかどうかが役割になります。

したがって、物理学は、たとえ数学的に過去の実験を説明できても、未来の実験結果を予測できなければ、その理論は淘汰されます。物理における決定的な証明は、数学的なものではなく実験結果なのです。

ですから、物理学を数学的に証明するというのは無いんですね。意外と皆さん、この部分を勘違いされています。もちろん、物理学の一部を数学的に定理化して証明することはありますが、自然のふるまいそのものを数学的に証明することはできないということです。

当然、数学的な考察が物理学を発展させたことも歴史的にありますし、物理学で使っていた概念を数学化したものも多々あります。ただ、役割の違いが分かっていなければ、誤って利用したり、意味のない議論になってしまいます。

現在の日本教育では、歴史的な役割という側面で教科を教えていません。これは、受験でより多くの点数を取ることが社会的な目的になってしまっているからでしょう。

未来のための教育をするという視点から改革していくには、単なるカリキュラムの変更ではなく、人類が築いてきた知識と知恵に対する尊敬や感謝がないと根本的に進まないかもしれませんね。

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学歴フィルターから見える、日本の教育と社会の問題点

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この間、公務員や企業リクルートにおける、学歴フィルターに関しての記事や動画を見ました。その一部始終と、それに関連する日本とアメリカのやり方を対比したいと思います。

企業など、履歴書で選別する場合は、やはり、学歴フィルターがかかるとのこと、理由は応募者が多い場合、偏差値の高い大学や、コネクションのある大学の学生を選ぶ傾向があるようです。

一方で、公務員は、独自の試験があって、そこから選ぶので、それほど学歴フィルターがかからないようです。そういう意味で、最近は、企業も独自試験によって選ぶ傾向にある、と説明されていました。

あと、国家公務員の出身校が1つか2つに集中している傾向があるので、学歴をすべて隠して試験や面接を受けるようにしたたらしいですが、それでも、合格する出身校の割合は、ほとんど変わらなかったそうです。

ここまで聞くと、やっぱり有名校出身の人たちは優秀ですごい、となると思います。確かにそういう側面があるのは間違いないのですが、私の感覚からすると、日本の公務員などの組織の考え方がいかに画一的になっているか、を問題視してしまいました。

独自試験に関しては、アメリカの有名企業も実施しているようで、それによって、必ずしも有名大学出身者が選ばれるわけではないようです。つまり、現状に即して柔軟に効果的に選んでいるのです。(もちろん、すべての企業ではないですよ)

日本でも、「個性を生かす」とか「オンリーワンの才能を伸ばす」ような教育などと言ってはいますが、現実は、画一的に「きちんとした、お利口さん」しか選べないような状況なのです。まさに建て前と本音でしょう。

昔、アメリカで、私の学生が、ある有名研究所のインターンを希望するために、推薦書を頼んできました。世界中の応募者、約1万人の中から、彼が選ばれたんです。これは、彼の所属する学部も歓喜していたようです。

その後、彼から直接話を聞いたのですが、研究所側からすると、単なるお利口さんの学生より、何かしらいろいろな経験を乗り越えてきた人を選びたかったそうです。

確かに、彼は、高校を途中でやめ、しばらく親の車整備の仕事を手伝いながら、ある日突然、大学進学を決めた感じの人でした。私の授業でも、結構、苦しんでいたようですが、あきらめず、1年経つ頃には、理解してテストに望めるくらいになりました。

日本ではどうでしょうか。実は、日本でもそういう美談はあると思います。例えば、この間、亡くなった野村克也さんは、このように人を見て、育てられたんでしょう。

「野村再生工場」といわれ、うまくいかず、くすぶっていた選手を見事に再生してきたところからつけられた名称です。おそらく、野村さんは人を表面的にではなく、本質を見ながら、人というのは変わっていくものだとわかっておられたんだと思います。

しかしながら、一般的にはどうでしょうか。テストで点数を取るだけの努力をして、いかに上の人に受けいれてもらえるかしか考えていないように見えます。このように偏差値や大学名を信仰しているのを見ると、部外者から見ると、まさに教育カルトにしか見えません。

単なるテスト主義ではない、教育から見えてくる、組織、社会、そして人間というものを、じっくり考えてみてもいいかもしれないですね。

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日本の子供の読解力が落ちた本当の原因とは(2018年のPISAより)

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この前、2018年のPISAの結果から、日本人の子供の読解力が落ちた、という結果が出たことに関して少々論じてみました。いろいろな原因があったでしょうが、私の感覚から、その時は、教師の能力に疑問を呈していたと思います。

しかしながら、2020年1月27日の日本経済新聞に、耳塚寛明氏が面白い考察をしていたので、それをもとにさらに深い議論をしてみます。

この読解力の点数は、急に下がったものなので、日本国内の教育政策や、環境の変化で説明するのは無理があるのでは、とのこと。一方で、PISAのテストが2015年からコンピュータ上で受ける形に移行したようなのです。

加えて、問題の内容も、ネットなどのデジタル文書を通しての判断力や解釈なども増えたようです。

そこで、耳塚氏は、それらがすべての原因とは言わないまでも、コンピュータを使い慣れていない、もしくは、ネットなどを使いこなせていない、日本の子供の現状が問題なのではと、指摘していました。

確かに、興味深い考察で、実は、他のデータでも、世界各国の15歳がコンピュータを使っているかどうかで、唯一、日本だけがここ10年でコンピュータの使用率が10%以上減っているようなのです。(他の国はほぼ全部上がっています)

しかも、スマートフォンやタブレットの使用率が他の国より多いかといえば、そうでもなく、全体的に日本人の子供のデジタルリテラシーが落ちている結果が出ているようなのです。

また、事実、教育の現場でも、ネットやコンピュータを使って学習したり、リサーチなどをしたりするのも少ないらしく、世界標準に追い付いていないというか、いつの間にか後れを取っているという状況なのだそうです。

よく世間では「コンピュータの次は、タブレットやスマートフォンが出てきて、世の中どんどん難しい機械が増えていく!」という人がいますが、本当は逆で、タブレットやスマホは、コンピュータよりも直感的に楽に使えるようにエンジニアたちが努力して作ったものです。

一方で、コンピュータは、難しいというより、いろいろなことができる機械なので、わかっている人にとっては、開発もできるし、いろんなソフトをインストールして使ったり、外部の機器を接続したりできるものです。すごく単純に言えば、スマホは受動型、コンピュータは能動型の機器なのです。

そのような状況で、コンピュータを使わない人たちが増えるというのは、どのようなことなのでしょうか?

学校に予算がなくて、そのようなものを導入できないのでしょうか。それとも、親にしても、教育委員会、下手をすれば文部科学省なども、積極的に、世界の動向を取り入れることに抵抗があるのでしょうか。

いずれにせよ、生徒たちは、完全に上から言われたことを素直に受動するだけになってしまったのでしょうか。

これから、小学校でプログラミングの授業が始まるわけですが、デジタルリテラシー全体が落ち込んでいいる中、プログラミングという授業だけが一人歩きしないか心配です。

かつての英語の授業のように、試験のため、受験のためだけのもので、実際の生活や将来の仕事などで使えるようにはならないものにならないでしょうか。

これからも、注視していきたいと思います。

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教えるにあたっての声と発するタイミング、また、知識量の重要性

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この間、教えている学生さんから聞いたのですが、「教科書読んでもわからなかったのに、先生に教えてもらうと理解できた」と言われました。

このようなコメントは、以前から聞いていましたし、自身も感じることがあるので、少々、考察してみました。

確かに、教科書を読んで理解しようとするには、結構なエネルギーが必要です。自主的に読み取ろうとして、さらに理解するには、考えたり、他の参考書なども援用しないといけません。

これは、ビデオ動画でも同じかもしれません。確かに、読むよりは楽ですが、必ずしも自分が欲している知識でない場合もありますし、質問ができなければ、そこに知識習得の限界があります。

ここから先の考察は、自分自身の経験なので、偏見があるかもしれません。教える時に重要なのは、学生の顔を見てタイミングよく話すことになります。これは、理解を促すのに効果的だと思われます。

ただ単に話すのではなく、間を開けたり、文字や絵を描いてみたり、話す速度に緩急をつけたりも効果的です。

実は、昔、しゃべることを全部、黒板に書いて、それを説明するように話したとき、学生が、あまり覚えていなかったり、理解できていなかったりしていました。

体系的に実験などはしなかったのですが、あまりに効果が違っていたので、それ以来、書いてから説明するのは止めて、書きながら、間を置きながら、説明することにしています。

さらに、教える人は、それなりの知識や経験がなければいけませんが、教えるというコミュニケーションは、単に文に書き出したり、それを読むことではないということでしょう。

もちろん、良い教え方、良い教師の基準などは、多岐にわたりますが、これから先は、単純作業的な教え方をしている教師は、人工知能などに置き換えられるでと思います。

さらに付け加えると、教えるだけを目的とした機関は、これから淘汰されていくかもしれませんね。

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日本の教育の難点、ここまで堕ちた理由

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日本の教育に関して、皆さん、いろいろと努力されてきています。もちろん、尊重したいのですが、現在の日本人全体からにじみ出る、もののミカタといいますか、結論の方向、行動のパターンからすると、現在の教育における難点が見えてきました。

基本的に、現在の教育現場では、人類が学問に、また、学問が人類に貢献してきたことに対して関心がない、という基盤で教育が行われているということでしょう。

何のために、国語、数学、科学、社会学、外国語などを学ばないといけないのか、教える側も、教わる側も、わかっていないのです。

まず、最初の難点が、受験に必要かどうか、必要でなければ、受ける必要がない、など、内容よりも、手段としてどれだけ有用か、として教科が扱われている点です。

言い換えると、人類にとって、また、人類の歴史ににおいて、生み出されてきた知識や経験を教えよう、または、学ぼうとする、謙虚な姿勢がそもそもないのです。

ただ、受験に合格するための手段としてしか見ておらず、下手をすると、受験が終わればすべて忘れてしまうようなことしかしていないのです。

次のポイントは、教科間の分断、知識の切り取り、学問に対する浅薄なレッテルはり、によって、単なる暗記か、対症療法的な形でしか勉強していない、または、させていない、という点です。

国語の正しい習得は、科学における問題の理解や、効果的な発表に役立ちますし、数学の理解は、自然科学のみならず、昨今の経済学、社会学を理解するのにも重要です。

また、自然科学である生物学、化学、地学などの基礎にあるのが、物理学であって、医学、薬学など医療に関する分野の理解にも役に立ちます。

しかしながら、学校では、文系・理系などと区別し、それぞれの教科を分断して、テストでより多くの点数をとるためだけの、その場しのぎの方法しか教えないのです。

明らかに、学問に対しての冒涜であり、時間の無駄でしかないようなことを堂々とやっているのには閉口せざるを得ません。

もちろん、「そうするしか仕方がないんだ」という人も多いでしょう。しかし、多くの人は、大人になって、社会人になって、本当に学んでみたいという人たちも少なからずいるのも確かなんですよね。

いずれ、具体的な方法や私が経験したことをお話しできると思いますが、とりあえずは、現在の教育に、このような問題点があるということを把握することも大事ではないでしょうか。

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なかなか理解されない教育の本質、本当の教育のミカタとは

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最近の教育に関して、テレビや新聞で報道されていた内容を精査してみようと思います。日本では、いまだに過去の栄光とやり方に固執している状態で改革しようとしています。そのため、結局は元の木阿弥になるのです。

以前にも申しましたが、テストだけで人を変えることはできません。つまり、「テストの問題を、考えさせるような内容にすることによって、考える力を養えるような学生が生まれる」というのは、ウソ、ということです。

テストはあくまで、手段であって、目的にはなりえないということを説明します。

確かに、テストの結果、つまり、点数だけ上げるのであれば、テストの傾向を調べて、その対策を打てば、手っ取り早いでしょう。しかしながら、そのような勉強で、テストの内容をきちんと理解した上で答えられるかどうか、となれば、それには疑問符が付きます。

よく考えれば、当たり前のことです。技術に関しては、先生の教え方が良かったり、教科書がわかりやすければ、習得にかかる時間は短いでしょう。しかし、十分習熟して、どのような状況でもうまく対応できるようになるには、それなりの経験や、いくつもの問題を試行錯誤しながら解決することによって、身につくものです。

つまり、事実の説明と扱い方、確認のテスト、さらなるチャレンジ、新たなる問題意識などを連続的に、はぐくんでいくことが、真の教育です。

たとえ、テストを作る側に崇高な目的があったとしても、初学者が自身でそれを察知して勉強し、それに見合ったように答えるというのは、通常ではありえません。逆に言えば、それができれば、学校も教育もいらないでしょう。

ですから、現在の日本のような、受験ですべて解決とするような教育には、いろいろな問題がはらんでいるのです。

この前、テレビで、ネットで調べて答えるような受験問題を出している学校を取材していました。いわゆる、答えを求めるというよりは、答えに至る過程を評価するテストです。

例えば、「アンパンマンのぬいぐるみを持っている家庭は何世帯あるでしょう」という問題に対して、子供の数の割合、その他の要素から数値を予測するもので、いわゆるフェルミ推定のようなものです。

これも、趣旨は素晴らしいのですが、やがて、そのテストを対策する塾ができて、いかに良い点数を取れるかを教えるようになるだけです。もちろん、役に立たないとは言いませんが、その後、その学校で、それに関連した訓練を継続するのであればともかく、そうでなければ、受験のためだけのスキルになるでしょう。(ここで言及しているのは、特定の学校のことではなく、一般論です)

以前もお話ししましたが、ある親御さんが、「テスト問題の類題を作って、それを、ひたすら練習させてください」と言ってきました。大学の授業で、このような単純な勉強をしていると、少しでも設定や条件が変われば、点数はゼロになります。いわゆる無駄な勉強です。

練習するのは良いのですが、理解せずに、ただ、やみくもに問題を解くのは、意味がない以上に、学問の理解や応用にいろいろな弊害が出てしまいます。弊害というのは、心理的なもので、意味もなく繰り返せば、何とかなるという感覚が刷り込まれるということです。

実際、こういう考えが、偏差値教育とゆとり教育で失敗を導き、働き方にも無駄が多く、なぜ、現状がダメなのかも分析できない人を量産しているんです。

せっかくの新しい時代、もっと視点を変えて、広範な教育の理論や技術をふまえて、これからの本当に意味のある教育を語っていきましょう!

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2020年の新年を迎えて、ぜひ、今年進めてみたいこと

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2020年、令和2年になりました。あけましておめでとうございます。今回は少々、人間味を出してみましたが、今年は、そういう方向で行こうかなとも思っています。

やはり、年はじめということで、今年、大幅に進展させたい、いくつかのことを宣言しておこうと思います。すべてうまくいかないかもしれませんが、公表することによって、少なくとも開始できる口実になるでしょう。

まず、1番目ですが、何かしらの申請をして、大学レベルの共通単位を与えられる授業を提供できるようにしたいです。

確かに、家庭教師として「学び」のお手伝いも、充実はしているのですが、元々、大学で教鞭をとっていたので、自分が作ったカリキュラムで「学ばせたい」という気持ちが強く出てきました。

実は、宿題の解き方を手伝うだけでは、学んでいく道筋ができにくいんですよね。また、その道のりを作るには、講義の仕方、宿題の出し方、テストの問題の選び方など多岐にわたるのです。

このように、全般にわたって教育に従事でき、さらに、成績と単位を与えられるようになれば、受けた方も自信が持てると思うので、是非、この方向でできるように努力したいと思います。

2番目に、やるべきことは、「分析」にかかわる、講義のさらなる発展です。最近、確率・統計に関する講義の依頼が増えています。もちろん、人工知能も含めて、いわゆる、科学と数学のハイブリッド的な分野が、これからも重要になると思います。したがって、この方向における、あらゆるトピックに関して、授業を一つでも多く作れれば、良いでしょう。

3番目は、米国も巻き込んでいけるようにしていくことです。そもそも、私は、日本の教育状況も知っていますし、米国などの大学でも教えていました。日米、両教育の良いところ、悪いところを把握していますので、世界レベルで活躍できるような人材を輩出できるように、日米でのカリキュラムを確立できるように持っていければと思います。

そういう意味でいえば、韓国、シンガポール、フランス、イスラエルなどの教育システムや、テスト問題の研究に関しても、去年から始めましたが、今年も少しずつながら、進展できれば良いと思っています。

今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

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日本は、本当に「ゆとり教育」を克服したのか?

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ここ最近の情報から、2019年現在の日本の教育を議論してみたいと思います。

2018年のPISAの結果から、日本人生徒の読解力リテラシーが前例にないようような落ち込みようでした。

一般的な評論では、「ここ最近のSNSなどの短い会話のコミュニケーションの繰り返しによって、読解力が落ちたのでは」と言っていますが、実際はどうなのでしょうか?

昔から、「最近の若者は本を読まない」、「新聞も読まなくなった」、「テレビゲームのやりすぎ」などなど、同じような批判がありました。もちろん、年長者から見れば、若者は「常に」期待通りに行動しないでしょう。

しかしながら、それが、時代時代の国語や数学の平均点を左右するのでしょうか?

いつの時代も若者は刺激を求めていますし、遊び心に満ちていて、勉強が好きな子、まじめな子、遊びや趣味に夢中な子、などの割合はそれほど変わらないのではないでしょうか。

当然、子供は経験もないですし、ほうっておけば、さぼりがちになります。独学では学ぶ速さも遅くなってしまうので、ある程度学習効率を上げるため、また、習得内容の平均量を上げるために教育というものが存在します。

ここで、最初の議論に戻ってみましょう。本当にSNSやスマホが今の若者の読解力を下げたのでしょうか?もちろん、原因は複合的なので、一概には言えませんが、どんなに私生活が怠惰なものであっても、学校でしっかり学習して、身に着けるようにしていれば、能力は平均的に上がっていくでしょう。

となれば、環境の変化だけでなく、教育の質が下がったと考えることもできるのではないでしょうか?

これは、一人一人の教師を責めるのではなく、教育環境が整備されていないとか、法律やルールが古すぎるなど、システムにも問題があるかもしれません。少なくとも、点数が下がった理由が生活環境の変化や生徒の態度だけに言及されれば、改善方法に提言ができません。

ほかにも、この考察を、うらづけるようなことが、テレビで流れていました。高校生がスマホのアプリなどで、助け合いながら、また、知識を持ち合いながら、テスト勉強する、というのを流していました。

その1シーンで、ある生徒が「2次方程式の判別式がゼロになると、なぜ、重解になるの」と聞いた後、友人が「それは、そうなっているからだよ」と言っていいたのです。

ほかにも例がありますが、概して言えるのが、「公式を覚えて、問題が解ければ、それでいいんだよ」という教育方針が丸見えなのです。

結局、このようなことを繰り返し、一生懸命、数をこなすことが、脱ゆとり教育だとしたら、教育の質は上がらないのではないでしょうか。

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