日本の社会人の熱意から見る、教育の闇、とはなにか

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これは、いろいろな本にも書いてある事実なのですが、日本の「熱意のある会社員」の数が、世界に比べて以外にというか、驚くほど低いらしいのです。(米ギャラップ調査2017年、熱意のある社員は6%で、世界ランクで132位)

働くのにやる気などが感じられない人が多い割に、いわゆる、「働いている」時間は、世界的に見ても長いようなのです。

おそらく、昔はそうでなかったと思うのです。もちろん、みんなが共有する常識や環境が違ってきたのも一つの原因でしょう。しかし、米国の32%に比べても極端に低いのです。

この原因に関しては、いろいろな分析がされていますが、原因は1つではないという仮定から、ここでは、少し違った視点でお話したいと思います。

私の立場からは、日本の教育システムが、数十年もの間、現在の状況に合わないのにもかかわらず、同じことをしていることが原因だと思われます。

日本の教育の目的は、明らかに大学受験だけです。昔もそうだったのですが、昔の仕事は、むしろ中学レベルの知識が重要だったので、大学自体は単なるステータスでした。しかも、中学や高校だけ出ていても、充分社会的に成功できたという環境でもありました。

現在のように、技術も進んで、グローバル化が進む中でも、ほぼ同じような教育、つまり、公式を覚えて、それで解ける類題を早く正確に解くだけの訓練では、自ら仮定を立て、実践しながら、いろいろと構築していくような人材は育ちません。

教育システムの硬直化は、社会システムそのものに波及していきます。20歳くらいまでやってきたことを、急に変えることは、ほとんどの人にとって難しいのは当然ですよね。

危機感があっても、また、変えないといけないと思っても、どうやって変えたらよいかの教育を受けていなければ、結局、現状維持です。フラストレーションをためながら、とりあえず、職があって、給料をもらえれば、それでいいか、となってしまうのは、火を見るよりも明らかでしょう。

こういう視点から見ると、アメリカも似たような部分はあるのですが、アメリカでは、あまりしがらみを作らない文化があり、また、流動性もあり、学校も職場もやり直しがきくので、そういう自由なシステムが何とか受け皿を作っているのではと思います。

日本は、教育システム、社会システムともども硬直化してしまっているというのと、それを見ても見ぬふりする文化が、最悪な方向にしてしまっているような感じなのです。

解決法としては、現在の日本の教育システムを解体することでしょう。新規参入のための規制緩和、もちろん、緩和だけでは、劣化の方向に行くので、市民団体による監視や評価も社会的に広めていくことが必要です。

教育も人間の権利なので、国民が選べる、評価できる方向に行けば良いと思います。

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教育と「戦争反対論」との密接な関係とは、本当の教育のために

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多くの人は、平和を望んでいます。しかし、努力なしに平和は訪れません。平和でない世の中とはなんでしょうか。自由がなく、強制的に物事をやらされ、憎悪など様々なネガティブな感情の扇動によって、いろいろな意味での破壊行動(言動)に行きつくことや、その中で生きていくことでしょう。

もちろん、そのようなことが進めば、相手や自身を傷つけたり、最終的には、戦争というものにもなります。

多くの人は、戦争に反対しますが、平和を積極的に考える人は少ないような気がします。自分さえ良ければ、とか、今さえ何とかなれば、など、些細な不自由を放置しながら、戦争などへ向かう種をまき、それが育っていても気にしないというのが現状でしょう。

口では、戦争反対なのに、実際は消極的に破壊などのネガティブな結果に賛成しているというのが、人々の状況なのです。

ここまでの議論は、結構、教育にも当てはまるります。

みなさん、「教育は大事だ」というでしょう。「学校に行かなければいけない」だとか、「塾にも行かないと」など、一見、熱心ではあるのですが、せいぜい大学受験まで、でしょう。

しかも、受験に受かりさえすれば良くて、勉強した内容など、どうでもよく、大学で一生懸命勉強する人も少ない状態です。

人生に、また、社会に役立つ教育を実践するには、不断の努力が必要なのにも関わらず、基本的に18歳までで終わってしまっています。

つまり、「教育は大事」と言いながら、本心では、それに従った行動を起こしていないのです。むしろ、何のためにやっているのかわからない勉強を、いやいや行いながら、黙って、ネガティブな感情を押し殺しているのです。

本質的な教育の結果というのは、5年から10年くらいかかります。(テストの点数ではないですよ!)なかなか、すぐに結果が出ないので、社会的にも軽視されますし、教育の内容や制度も長い期間で古くなってしまいそれにも注意が払われません。

本当の平和や、本当の教育を実現するために、今一度、じっくり考えてみても良いかもしれませんね。

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欧米とアジアの教育方針の違いにおける長所と短所

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今回は、少し教育に関して世界を俯瞰してみましょう。私も、すべての国々の教育を実体験してはいないのですが、米国において、いろいろな外国人とお話する機会があったり、日本の現状や、アジア全体の教育の傾向が似ている点から、大きく分けて、欧米型とアジア型の教育方針を論じてみたいと思います。

欧米型の特徴は、自由な学習と発見法的なやり方で、生徒を学ばせる傾向が強い感じです。これは、欧米では、科学が発展してきた歴史があるので、科学者が学ぶ過程をお手本にしているようです。

その派生の手法として、才能のある生徒を集めて教育する、Gifted Education というものもあります。とにかく、できる子や、やる気のある子たちを集めて、目いっぱい教えるという形です。

フィンランドなどもそうですが、基本的に自由で、生徒の自発性を重視しますので、留年するのも良いですし、進学する前に、他の体験をしてみるのも社会的に受容している感じです。

一方で、日本を始め、アジア的な教育は、修身的な、体育会系的な形で、競争を主体に教育する形でしょうか。もちろん、バリエーションはあるのですが、基本は、教え込んで、実践させ、それが教師の満足に至れば(もしくはテストで点数が上がれば)「受け入れられる」とするような教育法です。

(全てのアジア諸国が同じではないと思いますが、韓国、中国、インド、ネパールや中東諸国の人たちの話から、結構、似たようなカリキュラムらしいです)

みんなで一斉にという傾向もあり、追いかける目標の価値も一つにして、何をするのかはっきりさせます。また、社会も、その価値観に沿うことが、子供の幸せにつながる、という考えを共有しています。

ここで、両者の利点と欠点を議論してみましょう。欧米型の利点は、自分で選べる満足感と、幸福の価値観も自分と他人で尊重し合うことができることが一つです。また、発明や発見など、長い期間をかけて従事することや、創造的で面白いことを積極的にやっていける環境を促進しています。

一方で、欧米型の欠点は、競争心を養わないので、落ちこぼれていく子も多く、彼らを救済する方法論が確立できていないか、自主性を重んじるために、放置する傾向もあります。また、教師の質もばらばらで、良い先生に当たれば、能力は上がるのですが、そうでなければ、全く学べない状況に陥ります。

アジアの教育はどうでしょうか。まず利点ですが、短期間で能力を上げられるノウハウは、天下一品でしょう。また、みんなで一斉にそのような教育を受けるため、能力差もそれほどなく、良い人材を多く輩出でき、国力を上げることも容易に行えます。

しかしながら、欠点は、ご存じのように、行き過ぎれば、点数を上げるだけの競争に陥ってしまい、何のための学習なのかの意義を社会全体で見失う傾向にあります。(それによる、不登校や自殺などの社会問題は、アジア的な問題です)

また、目標があれば、それに向かうことができるのですが、目標を見誤ったり、そもそも、多様化が進んで、目標も自分で試行錯誤しなければいけなくなると、アジア的な教育では、全くと言って歯が立たなくなります。というのも、学校では、教師から与えられる問題を速く正確に解くことを中心に訓練されてきただけなので、それ以外のことがなかなかできなくなってしまうのです。

恐らく、これから未来の教育を語るにあたって、欧米型とアジア型の融合になっていくと思います。これは、いわゆる緩急をつけた教育方法になりますが、単なるマニュアルを超えた形での教育で、本当に分かっている教師が、リーダーシップをとって行う教育になっていくでしょう。

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物事の見方や考え方が単純化してしまうのも教育のせいですか?

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昔から、テレビに出演しているアナウンサーやコメンテーターの文言を聞きますが、最近ではネットでも、いろいろな意見を聞けるようになりました。

かなり、幅広い意見が聞けるという意味で、昔より多くの考える材料が増えたということが言えると思います。

一方で、情報の玉石混交と言いますか、そこから、すべてを聞きながら吟味をして、もっともらしい状況にまとめ上げるという、リテラシーも必要になってきます。

特に気になる議論として、昔からあるのですが、「○○すれば解決する」とか「規制すれば○○が減る」のように、物事をあまりにも単純化して、解決策を提案する例です。

比較すると、日本のメディアなどで多い言い方のような気がします。アメリカ人でも、一般人が、そのような意見を言うことは多いのですが、メディアでは、専門家を含めて、もう少し深い議論をしていきます。

というのも、世の中の事例は複雑なものが多く、解決策という答えが簡単に得られるものではありません。議論を深めることによって、問題の状況を知って、解決に向けて決断や修正していくことが重要だからです。

しかし、日本では、多くの人たちが、解決するための「答え」を求めようとしたり、これが「答えだ」と言わんばかりの剣幕で、意見をまくしたてる人が多いような気がします。

この原因は、日本だけでなく、アジア全般に言えることなのですが、いわゆる、「詰め込み教育」と言いますか、問題に対して素早く正確な答えを用意することを教育で訓練されてきたというのがあると考えています。

本来の教育では、問題の見つけ方から始めます。もちろん、それが本当に問題なのかの議論もしなければいけません。その後、その問題を解決する方法を吟味しながら、どれが効果的か、なども考えることになるでしょう。

また、実際に行動して、その結果から、方法などの修正、実行を繰り返しながら、問題解決まで、常に議論を緩めないというのが常識です。

また、議論の仕方も、過去や他の国での事例と比較しながら、どのようになるのか予測しながら行うもので、決して思い付きだけで進めるものではありません。

ここで説明しているやり方自体は何も新しいことではなく、鮮鋭的な組織や企業であれば、常識的に行っています。

いわゆる、日本において、エリートなどテストの世界でうまくやってこられた人に限って、早く正確に行動するために、深い考察や、行動の修正とタイムリーな決断ができていない人が多いように思えます。

しかも、このような形で正解ばかりを追うような行動ばかりすると、かつては正解だったのに、今は間違いであることに気づかず、新しい挑戦に限って、いつも失敗してしまうことも多いように思えます。

これは、長年の教育の結果ですので、うまくいっていた時代もあるのですが、これからは、早く正確に、だけでは人工知能でもできてしまうので、段々、価値が薄れて行っているのは間違いありません。

教育を変えるには、先生を教育しなおすしかないでしょう。もしくは、上のような状況に合った教師にイニシアチブをとらせて、うまくいけば、周りが真似していくように仕向けるかになります。

法律や、やり方を変えればうまくいくと思っている教育改革者は、そろそろ現実を学んだ方が良いのかもしれませんね。

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国語力に意外と必要な、科学的考え方

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最近、テレビ、ネット、ラジオ、雑誌や新聞において、人々のコメントを見る(聞く)に、特徴的な話し方に気づきました。恐らく、その人の教育(教養)によって変わるのでは、と思われます。

人によっては、「右翼だ!左翼だ!」と言ったり、「親日だ!反日だ!」という感じで判断する場合もありますが、それよりも、もう少し細かい反応について話したいと思います。

よく話を聞いていると、ある人は感情を優先しながら、自身の意見を広げていくように話をします。例えば、「二人とも、今まで一生懸命やってきたんだから、何とかこれからも仲良くやっていけたら...」とか、「この件については、あっちも悪いけれどこっちも悪いから、いろいろ反省しないと…」などです。

また、「お前が言うな」みたいに、笑いを誘うようなものもありますが、終始、人々の同情を組み込んだような話の内容になっています。

一方で、物事の問題点を指摘して、他の国や違う時代と比較しながら、それに一定の解答を与えるようなコメンテーターもいます。

ある意味暴論かもしれませんが、この2人の違いは、教育から来るのではと考えられます。

日本の国語の授業は、どちらかというと、著者や登場人物の気持ちや心理状態を問う問題が多い感じです。他にも、何文字以内に状況をまとめるようなものもあります。

つまり、いかに人々の感情を読み取り、うまくまとめるか、という訓練が行われてきていて、前者のコメンテーターがこれに当たります。

一方で、アメリカの国語(英語の授業になりますが)では、いかに論理的に自身の考えを伝えるか、だとか、いかに、相手を説得するために、仮説と証拠を用意して、結論付けられるか、という訓練が行われています。

一般的な日本人の会話の多くが、感情を考慮しながら、まとめることで、混乱を防ぐような議論をしがちだということです。

一方で、欧米などで教育受けたり、科学系を専攻していたり、積極的に本を読んで勉強をしている人は、問題を把握し、それに対する分析や証拠の列挙と、取り得る解決策を言うことができます。

私の持論でもありますが、日本では、科学的な教育がしっかり定義されていないというのが現状です。

中には「いや、日本人のPISAにおける数学や科学の成績は世界的に見てよいではないか!」という人もいますが、そのテストは、知識のテスト(考え方もありますが)であって、科学的な考え方を、教育界が訓練して育んできた結果ではありません。

つまり、科学的な思考法というのは、国語であったり、いわゆる、文系と言われるものにも重要な役割を果たしています。そもそも、理系・文系と分けるのに教育的には意味がないということなのです。

教育が人を作ります。また、人が国や世界を作るのですから、正しい教育がいかに大切かがわかると思います。

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「試験主義の間違い」これだけある、私の経験

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資格試験や受験など、特に日本やアジア各国では、試験中心に社会が動いています。みんなで一斉に受けて、その点数だけで合否が決まるという点では、アメリカなどにおける試験の扱い方と比べて顕著に違うでしょう。

ここでは、このような試験主義に問題があるという点を、理屈ではなく、私や他の方の経験談からお話ししたいと思います。

昔読んだ、ある評論家の本の中のお話です。国家公務員、上級試験に合格した大学卒業したばかりの若者にインタビューした内容でしたが、彼らは「日本を変えたい」など、これからの仕事に対する意欲は素晴らしいものがあったようですが、「どのように変えるのか」だとか「なぜ、変えるのか」など少し突っ込んだ質問には答えられなかったそうです。

次のお話は、私が学生から直接聞いたものですが、選択肢のあるテスト問題だと、問題を理解せずに、正解の確率が高いものを見つける方法があるようです。また、選択肢がなくても、正解に近い答え方もあるとのことです。

また、最近の話で、ある理系の資格試験を取った方からの相談だったのですが、「試験には合格したのだが、その原理や計算の詳細がほとんどわからない、ので是非教えてほしい」という依頼がありました。

恐らく、似たような話は、みなさんの身近にもあると思います。上にあるように、理解していなくても点数が取れる、というのが試験には根本的に存在します。

公務員試験の話に関していえば、難しい試験に合格さえすれば「神様」みたいに信仰されるような雰囲気が社会的にありますよね。しかし、若くて記憶力さえあれば合格できるけれど、経験も実績もないから、結局、現実に直面すると何もできないような人材を増やしているようにも見えます。

受験、定期テスト、資格試験にも共通するのですが、過去問などやっていて、あるパターンが見つかれば、それに沿って答えれば正解になるということです。つまり、内容を理解していなくても、合格できる可能性があるのです。

ここで言いたいことは、試験が不必要であるということではなく、社会が、人々があまりにも試験を重視しすぎることの懸念にあります。

難しい試験に合格したからと言って、その内容を理解しているわけではないのです。それなのに、合格しただけで「すごい」と思ってすべての実力を信頼するのは、長い目で見て社会にとって問題になるでしょう。

試験を行うことの長所と短所を踏まえたうえで、試験の位置づけ、人の雇い方、教育の仕方、経験のさせ方など総合的に議論していくことが大切だと思います。

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今日、本屋で久しぶりに高校の数学・物理のカリキュラムを確認してきました

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最近、社会人の方にも高校数学や物理を教える機会も増えました。かなり長い間、米国の大学のカリキュラムで教えていたので、日本のが懐かしく感じられます。

しかしながら、社会人の方も、「高校の数学ってちょっと現実社会に合ってないよね」という意見も聞くことが多いので、今日は少し、その辺のお話をしようと思います。

基本的に、日本の高校のカリキュラムは、ここ何十年も変わっていないようです。もちろん、マイナーチェンジはいろいろあるともいますが、いわゆる、原理原則は全くと言っていいほど変わっていないようです。

端的に言えば、「公式」を切り取ってきて、それで解ける問題や類題を紹介するだけの学習カリキュラムです。

本屋で確認したのですが「なぜ」という問にも答えないですし、その背景の説明もほとんどないような参考書ばかりでした。

いまだに、受験ビジネスのための無味乾燥な内容を教えているのか、とため息が出ましたが、逆に、今まで日本人は受験には関心があっても、教育には関心が無かったことも残念に思います。

この間、ある高校生の親御さんが言っていたのですが、「塾なんかでも、儲けのために授業は多くとらせるのだけど、練習や学習をさせる時間をもうけない」とのことです。

「我々は、何のために学ぶのか、何のために学問を追い求めるのか」という感覚が不在なんですよね。

私も、もう少し頑張らないといけないと感じた今日この頃でした。

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働き方改革と教育改革ってどこか似てませんか?

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「改革」と聞いてどのような気分になるでしょうか。やはり、物事が良くなっていくと感じる人が多いと思います。

しかし、教育改革と聞くと、「ゆとり教育」のこともあり、少々、警戒してしまう雰囲気もあるようです。今日は、なぜ、ある種の改革がうまくいかないのか議論してみたいと思います。

当時、ゆとり教育への改革は、経済界からも世論からも、偏差値教育では、立ち行かないことから提案されたものです。つまり、詰め込んで教育するのではなく、考える余裕のある、自主性を重んじた教育を目指したものでした。

そこで、この教育改革を遂行するためにどのような議論が行われたのかというと、「考える余裕を持てるために、どれくらいカリキュラムを削減すればよいか」というものでしかありませんでした。

結局、うまくいっていた部分もあったようですが、「そのおかげで学力が下がった」という世間一般の評判から元の木阿弥になってしまいました。もちろん、受験ビジネスにとっても不都合だったところもあるでしょう。

そもそも、変える気が無かったと言えば、それまでですが、所詮、ルールや外枠を変えたからと言って、うまくいくようなものではないのです。教育にはいくつもの過程と評価があり、学ばせる過程というのも一筋縄には行かない大変なお仕事だからです。

2019年現在も、政治家から、「反受験」などをかかげた教育改革が始まるようですが、上で申したように、同じようなやり方ではほぼ確実に失敗するでしょう。

このように、成果が単純に判断できないものを変えるのは、思っている以上に難しいのです。そういう意味で、「働き方改革」も同じように言えるでしょう。これも、ルールや枠組みだけ厳しくすれば、どこかにしわ寄せがくると思います。

それでは、どうしたら良いのでしょうか。まず、ルールナンバーワンとしては、プロジェクトを遂行、貫徹するには、状況に応じて軌道修正したり、人事などを変更したり、臨機応変にできる環境でなければいけません。つまり、最初にやり方やルールを全部決めて、その通りにやろうとするのは、厳禁です。

それをもとに、次のことに留意するべきです。まず、すでにそのような教育で成功している組織や個人を推薦で選び、彼、彼女らにどのように遂行するか、予算、時間的計画などを書いてもらいます。それに準じて、予算などを配分するというかたちです。

当然ですが、既得権益にお金を配布して、やったふりは、一番いけません。この際、過去のやり方を「壊す」勢いで改革しましょう。

これで、うまくいけば、周りの人や組織が真似しだします。市場では、良く起こることです。その先は、それなりに淘汰されたり、修正されたりして行くでしょう。

もう一つは、教育でも働き方でも、コンサルタントを雇って変えていく方法です。これも、補助金など出しながら、コンサル前後で評価して、より良いコンサルタントが活躍できるようにすればよいでしょう。

もちろん、上にあげた方法が両輪として機能できれば良いと思います。また、世間一般で教育とは何なのかの議論も浸透すると、より、教育が民主的に改革できると思います。

いずれにせよ、受験勉強のように「安易に答えを求める」方法に終始してしまうのは、失敗を招いてしまうので注意すべきです。

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学生に「答えが合っているんだから導き方なんて関係ない」と言われてなんて答えますか?

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先日、ラジオで「僕は算数の答えがすぐに思い浮かぶんだけど、その導き方を書くのが苦手で。。。」みたいな話になって、「良く、子供は、答えさえ合っていれば導き方なんてどうでもいいでしょ」という会話になってしまう、ということを話していました。

しかし、教育の中で、「答えさえ合っていれば良い」となれば、様々な問題が生じてしまいます。今日は、そこら辺を少し掘り下げて議論してみたいと思います。

「答え」というのは、どこから来ているのでしょうか?当然、問題を作った人が用意したものです。でも、これが合っているのかどうかは、いろいろな形で確かめられています。

それでは、たまたま答えたものが、用意された答えといっしょであったとしたら、「大正解」といえるでしょうか?もしかしたら、類題を出されて、今度は間違ってしまうということもあるのではないでしょうか。

算数・数学や物理などの数理科学は、ギャンブルではありませんし、多数決で答えが決まるものでもないのです。たまたま合っているような答え方をすれば、予測が当たったり、外れたりで使い物になりません。

そもそも、数学やそれを使う科学は、予測可能な方法を確立するもので、それに欠かせない事として、途中経過が合っているかどうかが重要になります。

途中経過が間違っていれば、条件が変わるごとに、合っている答えを出したり、間違っている答えを出したりしてしまいます。

そして、途中経過が記録されていれば、答えが間違っていても、さかのぼって検査することができるのです。そこで、正しい方法に修正して、どのような条件でも正しい答えを出すように、世の中の大人は、会社や研究所などで、このようなことをやっています。

答えさえ合っていればというのは、ある意味、無責任なことであって、しかも、修正やその先の創意工夫までもあきらめてしまっている態度なのです。

教育の現場では、答えが合っているだけではなく、途中経過もきちんと精査されることがいかに将来に重要かも教えられれば良いですね。

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そもそもブラックホールとはなにか?(2019年4月11日)ブラックホール撮影記念

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ブラックホールというと、かつてはSFのようなもので、理論的には存在可能であっても実際にあるのかどうか、長い間議論されてきたものです。

間接的に観測としては、非常に強いX線を白鳥座のあたりで検出されて、恐らくブラックホールではと言われていたものもありました。今回は、世界各国の観測地からのデータを集結して、ブラックホールの画像を撮ったというのは、素晴らしい進歩でもあるでしょう。

当然、「これが何の役に立つのか?」という質問も出てくるでしょうが、科学の進歩は、すぐには役に立ちませんが、将来長きにわたって役に立っていくものです。

今日、テレビで、「ブラックホールに光が引っ張られるって何?」、「光が重力によって引っ張られるの?」という質問があって、そこには物理学者がいなくて、誰も答えられませんでした。そこで、少し簡単にですが、素人にもわかるように説明してみましょう。

そもそもは、重力から脱出する、とはどういうことでしょうか。地球を考えてみて、飛行機では、地球の重力圏からは逃れられません。でも、ロケットは地球の外に出ていけます。理由は、それだけのスピードを出せるからです。この速度を第2宇宙速度と言い、約11.2km/sです。時速では、40300km/hになります。

言葉を変えると、その速度があれば、地球の重力に打ち勝てるということです。ところで、重力はどのように決まるのでしょうか?この力は、物体の質量と半径によって決まります。質量には単純に比例しますが、半径には2乗に反比例するので、同じ質量で半径が小さければ小さいほど重力が大きくなります。

では、光のスピードを持ってしても脱出できないほどの重力をもつ天体の質量と半径は、どのようになるでしょうか?とりあえず、ここでは、質量を一定にして、半径がどれだけ縮むと重力が光を「捕まえる」のかを考えてみましょう。

例えば、太陽を考えてみましょう。太陽の半径は695510kmです。実は、これが3kmまで縮むと、光の速さでも重力にあらがうことができなくなります。これが、いわゆるブラックホールになります。

もちろん、太陽がそこまで縮むのは不可能ですが、他の天体で条件がそろえば、光でも抜け出せない重力になるのです。面白いですよね。

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