高校数学が大人にとって学びづらいという事実

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以前、社会人の方で数学検定のために、高校数学を中心に教えていたことがありました。

教科書を見ながら、疑問点などを説明しながら、全体的に説明していたのですが、そこで、その方からこのようなことを言われました。「高校の数学は、説明しないで公式を渡して、すぐに問題を解かせるから、わかりづらい」、と。

もちろん、私は「なぜ」なのかを全部説明したので、お客様は、教科書に対して文句を言っていたのですが。この気持ち、まさに私が高校生の時に思っていたことでした。

当時、教科書も参考書も先生も、「これが公式です。しっかり暗記しましょう。それでは、問題を解きます。」というパターンで、なぜそうなのか、ここに至るまでの意義は何か、など一切ありませんでした。

大体の高校生は、長いものに巻かれた方が良いと考えるか、適当にやりながら自分の好きな道を探すかでしょう。

ここで、立ち止まって、考え込むような高校生は一切相手にされませんでした。(たぶん、今でも相手にされないでしょう)

結局、日本の高校教育は、大学受験のために編纂されたものなのです。これは、私が、大学・大学院、研究、アメリカのカリキュラムなど多くの事柄に精通して来たから言えるのですが、現在の教育を取り巻いている人たちは、残念ながら裸の王様をおだてているような感じです。

日本でもアメリカでもそうですが、教育改革というものをひっさげて、偏差値教育、ゆとり教育、No Child Left Behind (アメリカの全ての子供を落ちこぼれさせないための政策です)などルールや制度を変えていきますが、どうも根本の部分を見ていないようです。

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なぜ「学習」に子供用があるのか?多くの日本人はまだ子供なの?

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以前、高校生までの教育は子供用だとお話ししましたが、ここでは、なぜ子供への教え方を区別しなければならないかをお話しします。

学び始めは誰もが子供のようなものなので、それ自体が問題ではなく、学ぶ側の心理状態を考慮することによって学習効率を上げられるかどうかが重要な点です。

学び始めは不安だらけですが、特に子供は心理的にそれをコントロールできない場合が多いです。神経質にもなりやすいですし、感情的に過剰反応してしまうこともあります。

ですから、教える内容を制限したり、人為的に段階的な過程を作って学ばせる環境を作るのです。テストなどの採点は、その段階の教育に関する評価基準でしかありません。

これは、技術的なことなので、大人の初学者にも使うことができます。

ただ、一方で、子供用の学習だけが学習のすべてだと信じきってしまっている人たちがいて、それが問題をはらんでいる場合が多いような気がします。

以前申し上げましたが、答えのある問題をいかに早く正確に解けることが素晴らしいという価値観に染まっている人たちのことです。

これでは、概念的に新しいことについていけないとか、世に起きている変化に対応できないどころか、逆に世の中に問題を起こしかねないようなことをしてしまいます。

「やったのか、やっていないのか」とか叫んだり、「お前がやったんだろう」と不確かな証拠をもとに、人を責めたり、あやしいというだけで、人や物ごとを断罪したりしている人たちは、子供的な学習から卒業できていないのです。

現在の教育が面している問題は、この子供用と大人用の学習の使い分けができていない所だと思います。

ここがわかれば、教育結果がうまく社会的に機能しますし、多くの問題が解決していくことになります。

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そもそも答えがあるかわからないのが大人の数学・物理

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ここ最近、大人と子供向けの学習のお話をしています。子供というのは、小・中・高校生までの学習の仕方をいいます。一方、大学以上のいわゆる世にある学問を学び、探求することを大人の学習としています。

今日は、問題と答えに関して、子供と大人の学習の違いをお話しします。

高校までは、ある意味、国(アメリカならば州)が、子供向けに枠を作って、教え方を定めています。

つまり、教える内容に境界を設けて、与える問題は、学習が少しずつ進むようにアレンジされています。もちろん、大学初年度もこんな感じですが、大学の場合、境界はもうけていないので自由にアプローチできます。

ですから、高校までのカリキュラムで行われる大学受験の問題には、答えがあることを前提にしています。

確かにどんなテストも、そんなものです。したがって、ここまでは、何も問題はないのですが、「どんな問題でも答えがある」と信じてしまったまま、大人の世界に入っていくことが問題になるのです。

この前、ある学生から「この証明は、ストレートにこの集合を用いて進めていますが、たぶん、補集合を用いても証明できると思うんですよ。ちょっとやってみてくれますか?」というような質問をいただきました。

まるで、どんな問題設定をしても答えがすでにあるような感じで質問していたようでした。

すでにその証明があって、それを説明してほしいというのならば、まだわかるのですが、このように、新しく問題設定をした場合は、まさに、ゼロから状況を定義して、それを整理し、試行錯誤しながら進めていくものです。

もしかしたら、その方向自体が間違っている場合もあります。また、現在の知識では簡単に求まらなかったり、答えがないと証明されることもあるのです。

物理学のような科学の世界もそうですが、簡単に「こうしたらどうなるのだろう」とか、「なぜそうなるのか」という質問が、現在の技術や数学では簡単に解けないというものはたくさんあります。

残念ながら、意外と、このように、大学を卒業した人たちでも安易に答えを求めようとする人が多いような気がします。

点数主義的で、答えを得ることを他人任せにしている人たちというのは、まだ高校までのカリキュラムに縛られているのかもしれません。

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大人の数学・物理の学び方:本当に高校レベルを卒業しましたか?

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特に日本国内では、教育は高校までの学習に重きを置いていますが、残念ながら「大人」としての学び方は一切教えていません。

社会的責任を持つ大人として、物事の理解の仕方や、問題の解決の仕方は、とても重要です。しかしながら、大学受験を中心とした勉強だけを強調すると、その大事な「大人」の学習力が身に着きません。

高校までは、いわゆる、お子様学習であって、そのためにカリキュラムを整えて、問題なども解きやすくアレンジされているのです。

そこから、大学に入って「大人」としてOpen-ended(いわゆる決まった解答がない)問題にあらゆる視点からアプローチしていく力を養っていくのです。

「それでも、数学・物理やその他の科学、技術であれば、答えは決まっているんじゃないの?」という人もいるでしょう。もちろん、過去の問題には答えがありますが、現在、目の当たりにしているものは、条件が違ったり、やり方が変わったりなど、多くの局面から今までにない答えを求めていかないといけないのです。

まさに、大人の課題は、自分で理解し、自分で解答を作り、自分で確かめないといけないのです。上から与えられた答えが決まっている「大学受験」までの子供の課題ではないのです。

大学で扱う教科書は、今ある学問の体系全体を見通しているため、ここまで学べばよい、というような境目がありません。

簡単か難しいか、というよりも、一番基礎的な原則から出発して、そこからどんどんと広がって行っているものを扱っています。

そこで、大人の学習の仕方、大人の理解の仕方が重要になります。まずは、何が基本で、何が一番重要な枠組みかを把握します。今わからないことは、ぼんやりと頭にとどめて、他の文献や議論などによってゆっくりと外堀を埋めていくように理解していきます。

高校までだと、ひとつひとつ理解して進んでいきましたが、大学レベルでは、内容が抽象的なものや高度に複雑なものも混在しているので、「理解できないと先に進まない」という態度では、ひじょうに学習効率が悪くなります。

大人として始める学習は、子供の学び方からの卒業から始めてみてはどうでしょうか?

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数学の初学者が電卓を使ってはいけない理由

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数学や物理を勉強するのに電卓を使っていいのでしょうか。良く昔、子供のころ、親や先生から「電卓で計算してはいけません」と言われていなかったでしょうか?

ではなぜなのでしょうか?主な理由としては「脳が楽をすることを覚えてしまっては、計算力が養われないから」なのでしょう。

しかしながら、当の本人は実感できないのも事実です。そこで、私が教える立場から、初学者が電卓を使って数学を学ぶべきではない事例をご紹介します。

以前、ある大人の方に数学(中学・高校レベル)を教え始めました。最初は、電卓を使っていたのですが、なんとなく、何を計算しているのかわかっていらっしゃらないようでした。

そこで、急遽、電卓の使用を禁止して、手で計算をさせるようにしました。確かに、面倒なのですが、そこから、数字を扱う感覚が養われてきた感じがして、答えが合っているか間違っているかの判断もできてきたようでした。

手で計算するだけが原因ではないと思いますが、明らかに、脳のいろいろな部位を使っているように見えました。

実際、教える際も、どのように計算しているか、また、どのように検算するかを意識させるには、手計算の方が効果的な気がします。

一方で、アメリカは、高校生くらいから電卓を使わせているようです。もちろん、それはそれでよいのですが、計算慣れしていない人は、電卓が何を計算しているかわからずにたたいているので、答えと違う結果が出ると混乱しがちです。

また、初歩的な電卓の知識もなければ、修正できないのも問題です。例えば、掛け算と割り算が、足し算や引き算よりも先に計算されたりなどわからなければ、何度やっても答えは違ったものになります。

やはり、私が子供の頃に受けてきた指示は正しいというのは、教えることを通じて基本的に正しかったと言えます。

まとめとして、まず、基本的な計算の原理を手と紙で体で習得しましょう。これは、大人であっても、初学者であれば、絶対にそこから始めるべきです。

そのあと、電卓を使うにあたっては、電卓の使い方の手ほどきを受けましょう。電卓にしても数学ソフトを使うにしても、それらは、無条件に正しい答えを出すわけではありません。あなたが打った入力に対して実直に答えを返しているだけなのです。

どんなに便利な世の中でも、最終的には人間が確認できることを担保していないといけないようですね。

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アメリカと日本の高校数学の違いとは

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最近、アメリカのマサチューセッツ州の高校に留学中の日本の方に数学を教える機会がありました。

日本で言う微分積分の基礎に関する教科です。日本では、数Ⅱ、数Ⅲと言われるものでしょう。

10年以上高校で教えている教科に関しては、全く触れていなかったので久しぶりにアメリカと日本の微積分の教科書を比べてみました。

(ちなみに、マサチューセッツは比較的教育レベルが高く、州だけでいえば、世界でも上位に来るくらいです。)

私は、以前から日本の高校数学のカリキュラムは中途半端だと申しています。今回、アメリカの教科書を見て、より良く認識できました。

アメリカの教科書は、大学で取る微積分の講義が分かるような基礎を全体にわたって教えている感じです。

一方で、日本の場合は、明らかに大学入試を作成するのに問題が起こらないように、教える範囲を制限しているように見えました。

日本の良いところは、このようなカリキュラムでも上から言われたことは、文句を言わず真面目に教えるところでしょうね。(少し皮肉っぽいですが)

逆にアメリカは、良いカリキュラムなのに、きちんと教えられる教師が少ないというのが問題のようです。

世の中では、「教育を良くしよう」とか安易なことを言いますが、それほど簡単ではないようですね。

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「なんとなくわかるんだけど」は何も理解していないということ

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たまに学生さんから、「概念はわかるんだけど、どうやって計算して良いかわからない」とか、「公式がわかれば解けるんだけど、どの公式を使ったらよいかわからない」と言われます。

確かに、概念的なところを知っていることは、良いことです。しかし、それでは、理解しているとは言えません。

では、理解することとはどういうことなのでしょうか?理解できていれば、問題解決において、どこから始めればよいか、どのような情報を利用するのか、どうやって数式にするのか、その後、それをどう計算して最終的な結果がでるのか、果たして、その結果はリーズナブルかどうかまでチェックする、など一連のプロセスを遂行できることなのです。

「そこまでできれば苦労はしない」と言う声も聞こえてきそうですが、ぼやーっとしかわからなかったり、ヒントをもらえないと解けない、とすると、常に誰かを頼りにしないといけません。これで教育されたと言えるでしょうか。

ここで、教育のゴールと理解させることとの共通点が見えてくると思います。つまり、教育というのは、学生に学ばせることであり、独立して物事を進められるようにすることなのです。

しかしながら、現実の学校教育はどうでしょうか?本当に学ばせている教師はどれだけいるのでしょう。

教育を行うには、本当の意味で知的でないとできないのかもしれませんね。

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「わかりやすい」にひそむ教育の落とし穴

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「世の中分かりにくいことばかり!」と嘆いてしまう気持ちはわかります。数学や物理、様々な科学的な理論は、一筋縄に理解は難しいです。

それに対して、「わかりやすい○○」などの本を買うのは、理解を助けるのに十分なのでしょうか?

残念ながら、多くの「わかりやすい」と付いた題名の本は、決してわかりやすいとは限りません。

文章のスタイルがしゃべり口調でしかなかったり、聞こえの良い言葉ばかり並べている本も多いようです。

結局、「わかったつもり」になって、よくよく考えてみると、何も理解していないことが多いのも事実です。

よく、教育系のテレビ番組で相対性理論の説明をしているのを見ます。「光の速さを超えられるのか」とか、「浦島効果って何?」とか、興味の引く話題が多いのは確かです。

しかし、一番重要な数学を使った議論や、理論的な枠組みからの説明などは、一切ありません。確かに、数式が一つ増えれば、多くの視聴者を失ってしまうので、簡単にはできませんが、本当の理解につながるような内容ではないというのは、プロの視点からは、断言しておきましょう。

簡単に学べる小冊子の啓蒙書もありますが、わかりやすいと銘打って、数式を使わなかったり、ある程度の数学は使いながら途中でごまかしたりしてもいます。(実際そういう本ありました!)

わかったつもりの人を大量生産することが教育になるのでしょうか?わかりやすいと謳っていることが、本当の理解を阻んでいるというのは事実かもしれません。

では、提案ですが、ある教科や話題を学ぶには、教科書を購入しましょう。しっかり、数式などを提示しているものです。

そこで、独学しようとするならば、そのトピックに関して数冊買いましょう。あとは、それらの本を何度も読んだりすることになります。

一方で、そこまでする時間などがない方は、教師を雇った方が、時間もお金も節約できます。

最後に一つ言えるのは、「わかりやすい」本だけでわかったふりになるのは、時間の無駄だということです。

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大人が満足!英語の「自動詞・他動詞」の極め方

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今日、たまたま、コマーシャルで、英語の自動詞と他動詞の覚え方を見かけました。

内容は、「~を、と目的語を取る動詞は他動詞で、そうではない動詞は自動詞、know は、~を知るだから他動詞、live は、~を住む、とは言わないから自動詞」でした。

たしかに、言う通り、基本的な区別はこのようにしても良いと思います。さらに付け加えると、「~に」とか「~へ」というのが付く場合、to や in をつけて表現する自動詞である場合が多いです。

例えば、上の例で言う、live ですが、日本語の例文では、「~に住む」なので、自動詞として、live in ~ という感じです。

まぁ、ここまでは、高校レベルと言ってもいいかもしれません。大人の皆さんには、もう少し突っ込んだところまで、お話しましょう。

まず、基本は、英語と日本語がすべて1対1で対応しているわけではないということです。英語の感覚に近づけていくのが先決なのですが、一朝一夕には身につかないので、例外などから少しづつ学んでいくことがおすすめです。

実は、上の例でも、know は他動詞だけでなく自動詞にもなりえます。例えば、know about ならば、「そのこと(人)について良く知っている」という感覚です。

ここで、やっかいなのは、「~について」というのに対応する about という前置詞です。

日本語では、重宝なフレーズなのでいろいろな動詞のあとにくっつけられますが、英語では当然、自動詞・他動詞によって使えるものと使えないものがあります。

例えば、「~について議論する」だと、ついつい、discuss about としてしまいがちですが、discuss は他動詞で、about は後につきません。この場合は「~を議論する」と覚えればよいでしょう。

次の例ですが、「~に影響を与える」という日本語の表現ですが、上で説明した、ルールで解釈すると、to などの前置詞が付きそうです。

しかし、それに対応する affect という動詞を使う場合、他動詞なので、to や in などの前置詞は取りません。

したがって、「私は彼に影響を与えた」は、「I affected him.」になります。この場合、「~を」を取るような表現でなくても他動詞になるケースです。

こういうのは、ある意味、日本語から考えると変かもしれないですが、英語は英語だから、という感覚で学ぶべきでしょうし、大人の英語として、他の人と差をつけられる部分だとも思います。

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なぜ個人契約の家庭教師の方が良い先生が多いのか

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あるウェブページで見かけたのですが、「個人でやっている教師の方が効果的に教えてくれるらしい」、と。

理由は書いていなかったのですが、周りが言うには、そういう人の方がうまく教えられる、ということです。

そこで、自分の経験から、なぜそうなるのか考えてみました。

個人で教えるには、「教える」ことに自信や信念がある人が多いと思います。教えるというのは、考えながら創意工夫しなければいけないですし、それを苦にするようでは成り立たない仕事です。

では、学校や組織で教えている場合はどうでしょうか。

組織的に教育をする場合、ルールに従う傾向にあります。また、金儲けと両立するために、いろいろな制約も付いてくるでしょう。

したがって、お金とルールの下に教師は疲弊し、学生もそういうマネジメントの下で、点数や成績を上げることが目的となります。

組織のルールに従えば、教師は給料ももらえますし、学生は理解していなくても点数さえよければ、当面の目的は達成できます。

ここから言えることは、教育を組織だって行うことには、弱点があります。つまり、ある程度のプロセスさえふめば成り立ってしまうということです。

アメリカの公立学校では、多くのお金や人をつぎ込んでいるのに、なかなか改革が進みません。小さい規模でやっている教会の個人教師は教えるのがうまいのに、組織立って行う私立の学校に潰され、結局、金儲けだけに教育が利用されているケースも多いようです。

日本では、組織として、方向性が決まれば一点集中の教育で成功はしますが、環境が変わると自分で考えられないために、長い間、右往左往してしまいます。

個人の信念がある教師は、そういうところから一番遠い存在なのかもしれません。ですから、評判が良いのだと思います。

ところで、上杉鷹山という日本の政治家はご存じでしょうか。アメリカのケネディ大統領が参考にした人物で有名です。恐らく日本の最も優秀な政治家の一人でしょう。

彼にも家庭教師がいました。細井平洲と言いますが、彼は鷹山に多大なる影響を与えた私塾の教師であったことは、重要な事実なのかもしれません。

師匠と弟子というのが一番効果のある教育法であるというのは、教育学では有名です。学校や一般の塾組織も、すべてが悪いわけではありませんが、教えることの効果は、孤高の教師の方があるのかもしれません。

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