日本の子供の読解力が落ちた本当の原因とは(2018年のPISAより)

大人のための家庭教師
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この前、2018年のPISAの結果から、日本人の子供の読解力が落ちた、という結果が出たことに関して少々論じてみました。いろいろな原因があったでしょうが、私の感覚から、その時は、教師の能力に疑問を呈していたと思います。

しかしながら、2020年1月27日の日本経済新聞に、耳塚寛明氏が面白い考察をしていたので、それをもとにさらに深い議論をしてみます。

この読解力の点数は、急に下がったものなので、日本国内の教育政策や、環境の変化で説明するのは無理があるのでは、とのこと。一方で、PISAのテストが2015年からコンピュータ上で受ける形に移行したようなのです。

加えて、問題の内容も、ネットなどのデジタル文書を通しての判断力や解釈なども増えたようです。

そこで、耳塚氏は、それらがすべての原因とは言わないまでも、コンピュータを使い慣れていない、もしくは、ネットなどを使いこなせていない、日本の子供の現状が問題なのではと、指摘していました。

確かに、興味深い考察で、実は、他のデータでも、世界各国の15歳がコンピュータを使っているかどうかで、唯一、日本だけがここ10年でコンピュータの使用率が10%以上減っているようなのです。(他の国はほぼ全部上がっています)

しかも、スマートフォンやタブレットの使用率が他の国より多いかといえば、そうでもなく、全体的に日本人の子供のデジタルリテラシーが落ちている結果が出ているようなのです。

また、事実、教育の現場でも、ネットやコンピュータを使って学習したり、リサーチなどをしたりするのも少ないらしく、世界標準に追い付いていないというか、いつの間にか後れを取っているという状況なのだそうです。

よく世間では「コンピュータの次は、タブレットやスマートフォンが出てきて、世の中どんどん難しい機械が増えていく!」という人がいますが、本当は逆で、タブレットやスマホは、コンピュータよりも直感的に楽に使えるようにエンジニアたちが努力して作ったものです。

一方で、コンピュータは、難しいというより、いろいろなことができる機械なので、わかっている人にとっては、開発もできるし、いろんなソフトをインストールして使ったり、外部の機器を接続したりできるものです。すごく単純に言えば、スマホは受動型、コンピュータは能動型の機器なのです。

そのような状況で、コンピュータを使わない人たちが増えるというのは、どのようなことなのでしょうか?

学校に予算がなくて、そのようなものを導入できないのでしょうか。それとも、親にしても、教育委員会、下手をすれば文部科学省なども、積極的に、世界の動向を取り入れることに抵抗があるのでしょうか。

いずれにせよ、生徒たちは、完全に上から言われたことを素直に受動するだけになってしまったのでしょうか。

これから、小学校でプログラミングの授業が始まるわけですが、デジタルリテラシー全体が落ち込んでいいる中、プログラミングという授業だけが一人歩きしないか心配です。

かつての英語の授業のように、試験のため、受験のためだけのもので、実際の生活や将来の仕事などで使えるようにはならないものにならないでしょうか。

これからも、注視していきたいと思います。

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2018年のPISA(学習到達度調査)の結果を受けて解説します

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国際的な学力調査で有名なPISAというテストがあります。国や地域ごとに算出されるものですが、その結果を追って、各国が、どのようなことをコメントしているのか、また、どのように解釈すべきかを議論していきたいと思います。

PISAの試験は、15歳児の読解力、数学、科学と、それぞれのリテラシー、つまり、解釈する能力を測定するものです。基本的に経済協力機構(OECD)の国で実施されていますが、それ以外の都市(上海など)でも行われています。

テストに携わっているのは、オーストラリア教育研究所を中心に、日本の組織などもかかわっています。

そのため、教育ニュースにおいては、イギリス、オーストラリア、日本では、テストの結果を見て、「どの国が躍進しているか、なぜ、我が国は、なかなか点数が上がらないか」などの議論が活発でした。

一方で、アメリカは、PISAに関しては、参考にしますが、点数だけで学力を判断することに懐疑的な態度は、一貫しています。

それでは、私がどう見るかですが、今までのデータや、自身の教育経験から、多少、独断的にはなりますが、解説していきたいと思います。

PISAの点数が高いというのは、その国や地域における、教育インフラが整っていて、生徒、教師、親、社会なども含めて、教育政策に、ほぼ一致した意見が共有できている、ということだと思います。

実際、アジアの国々のように、幼少期から、学習やテストの訓練が一般的であったり、人口が少なく、教師の質もある一定程度、長期にわたって保たれているところが上位に行きやすいと、見ることもできます。

実際、そのような環境の下では、生徒、個々人の家庭収入の格差は、学力の格差に反映していないという結果が出ているようでした。

そういう面から言えば、日本のように、1億人規模の人口を抱えたうえで、これだけ上位に位置することができるのは、欧米から見ると、めずらしいとのことですが、一方で、アジア的な教育環境から言えば、まぁ、当然なのかもしれません。

一方で、アメリカのように、自由な教育を主張する国からすると、テストの点数だけで判断するのは、文化的に合わないようですが、最近では、アジア流に見習って教育改革も行われていますし、PISAの点数も少しずつではありますが上がっているようです。

しかしながら、一方で、面白い論文があったので紹介します。タイトルは、Side Effects of Large-Scale Assessments in Educationで、カンザス大学とアラバマ大学の共同研究です。

題名の通り、PISAも含めて、いわゆる大規模な標準テストで良い点数を取るような教育には、副作用がある、と主張しています。

統計的にわかったのが、テストの点数上昇と裏腹に、生徒の実生活における充実さが低く出る傾向にあったようです。ある意味、肌感覚で理解できます。テストで成功するには、しつけや訓練が必要です。いわゆる、スパルタ的な教育ですが、自分の好きなことやリラックスする生活を犠牲にしなければいけません。

確かに、基礎学力がある方が、人生において成功しやすいですし、社会全体にとっても利益になるのですが、アメリカ流の、自由や創造性、人生や人に対する寛容性から来る、社会全体のダイナミズムは、単にテストの点数を稼ぐお利巧な生徒だけでは、実現が難しいかもしれません。

また、一つや二つの方法ですべてがうまくいくこともないですし、成功の裏には、失敗や、あらゆる問題も山積みになっているのは、世の常です。このような中で、生きる術を習得するような教育が理想なのかもしれません。

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